ミステリの二十則と建築設計の二十則


ヴァン・ダインの二十則

私の二十則

推理小説は一種の知能的ゲームである。それに加えてスポーツ種目でもある。そして、作者は読者に対してフェア・プレイでなければならない。ブリッジのゲームでインチキが許されないと同じように、ペテンや誤魔化し手段に訴えてはならず、あくまでも公正でなくてはならない。

真の発明の才を通じて、読者の意表をつき、読者の興味を繋がねばならない。推理小説を書くに当たって極めて明確な法則がある。

おそらく明文化されて無いが、だからと言って拘束力には変わりは無い。全ての尊敬に値する、そして自尊心のある文学的謎解き物語の作者は、その法則を遵守しなくてはならない。

よってここに、一種の【信条】とも言うべきものを掲げる。これは一部は、推理小説の偉大な作家たちすべての慣習を土台とし、一部は誠実な作者の閃めかれた良心の示唆に基づいたものである。従って、それを明文化すると以下のよう考えられる。

建築設計は一種の知的創作ゲームである。それに加えてスポーツ種目でもある。設計者は施主に対して紳士的でなければ成らない。
パチンコ店で磁石を使う事が許されないのと同じように、ペテンや誤魔化し手段を講じてはならず、あくまでも公正でなくてはならない。

真の創造の才を通じて、施主に新鮮な驚きを与え、生きることへの意欲を掻き立てねばならない。住宅設計行為をするに当たって極めて明確な法則がある。
おそらく明文化されていないが、だからと言って拘束力には変わりない。全ての尊敬に値する、そして自尊心のある想像力豊かな設計をする設計者は、その法則を遵守しなくてはならない。

よってここに、一種の【信条】とも言うべきものを掲げる。これは一部は、建築の偉大な設計者たちすべての慣習を土台とし、一部は誠実な名も無き一人の設計士の良心の示唆に基づいたものである。従って、それを明文化すると以下のように考えられる。

謎を解くにあたって、読者は探偵と平等の機会を持たねばならない。すべての手掛かりは、明白に記述されていなくてはならない。

設計するにあたって、施主は設計者と平等、あるいは同じ価値観を分かち合わねばならない。すべてのアイディアは明白に伝えられねばならない。

犯人や探偵自身に対して当然用いるもの以外のペテン、あるいは誤魔化しを、故意に読者に対して弄んではならない。

施工者や設計者自身に対して当然用いるもの以外の複雑怪奇な専門用語、あるいは「煙に巻く」ような言葉を、故意に施主に対して弄んではならない。

物語に恋愛的な興味を添えてはならない。恋愛を導入することは、純粋に知的な実験を、筋ちがいな情報によって混乱させる。

当面の課題は犯人を正義の庭に引き出すことであり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。

設計作業に恋愛感情を持ち込んではならない。ライトのようにチェニー夫人と手に手を取って駆け落ちするような真似は、純粋に知的な創作行為を筋違いな思惑のせいで、修羅場と混乱を招く事になりかねない。

当面の課題は依頼された設計を完成させる事であり、図面に相合傘を書く事ではない。

探偵自身、あるいは捜査当局の一員が犯人に豹変してはならない。これは厚顔な詐術であり、ピカピカの一セント銅貨を五ドル金貨だと称して人に与えるのと同じである。

設計者自身、あるいは工事に係わる作業者の一人が、意図的に作業の質を軽んじるような真似をしてはならない。これは明らかに欠陥建築を生み出す要因であり、外国の硬貨を500円硬貨と偽って自動販売機を騙すのと同じである。

犯人は論理的な推理によって決定されねばならない。偶然とか、暗号とか、無動機の自供によって決定されてはならない。

後者のような犯罪問題の解決法は、読者を故意に無用の暗中模索に狩りたて、それが失敗に終わるのを待って、「お前が捜しまわっていたものは、初めから、おれの懐のなかにあった」と告げるに等しい。

このような作者の態度は、悪ふざけ以上のものではない。

建築物は論理的かつ客観的な思考によって生み出されなければならない。偶然とか、占いとか、あるいは神のお告げによって決定されてはならない。

後者のような設計方法は、施主を故意に無用な暗中模索に貶め、後から後悔するのを待って「やっぱり、そうなると思っていたんですよ~」と告げるのに等しい。

このような設計者の態度は、下劣極まるもの以外の何者でもない。

推理小説には、その中に探偵が登場しなくてはならない。そして、探偵しなくては探偵とは言えない。その任務は手掛かりを集めて、それによって、最後に第一章で悪行を働いた人物を突きとめるにある。

探偵が、それらの手掛かりを分析して結論に到達しないなら、その探偵は算数の本の巻末を見て解答を知る小学生と同じで、問題を解いたことにはならない。

建築行為には、その中に設計者が登場しなくてはならない。そして設計あるいは監理をしなくては設計士とは言えない。その責務は施主の考えを引き出すと共に、自身の思考を盛り込み最後に施主に満足を与える建物を提供する事にある。

設計者がそれらの手掛かりを分析しても案が浮かばないのなら、その設計者は企画・画一化された住宅を万人に甘受させようとする、どこぞの住宅メーカーの設計係の担当者レベルのごときであり、自身で設計する事は即刻止めた方が良い。

推理小説には死体が絶対に必要である。死体がよく死んでおればおるだけ良い。殺人以下の小犯罪では不十分だろう。殺人以外の犯罪のために三百ページを割くには大袈裟すぎる。要するに読者の手数と精力の消耗は報いられなくてはならぬ。

アメリカ人は本質的に人間的であり、したがって、凶悪な殺人はその復讐心と恐怖心を掻き立てる。加害者を正義の手に渡したいと望む。『いかなる場合でも非道な殺人』(ハムレット)が行われた時には、人一倍温厚な読者までが、このうえない正当な情熱をもって、その追跡に当たることができる。

建築行為に死体は必要ない。だから、よく死んでいる必要もないし、程度を論じる必要もない。ただし設計作業は長期に渡る時もあり、その間に心成らずも不幸な場面に直面することがある。そんなとき設計者は、保身のために施主に建築作業を煽るような真似をしてはならない。

建築とは、人が生きることを前提とした空間創造であって、死とは対極に位置するからである。どんなに素晴らしい建物を生み出せる設計者であろうとも、優しさや思いやりの心を持たない設計者が生み出す建物ならば、その建物には一変の価値も持たないと言うことが出来る。

犯罪の謎は厳密に、自然な方法で解決されねばならない。真相を知るのに瓦占い、コックリさん、読心術、水晶占い等々の方法を用いるのは禁忌である。読者は合理的推理によって知能を競うときはチャンスがあるが、霊魂の世界と競争し、形而上の四次元の世界を漁り歩かねばならないとなると、勝負は鼻からついているも同然で負けている。

設計の謎は厳密に、自然な方法で解決されねばならない。論理的な設計を帰結するにあたり、易、コックリさん、その他如何わしい方法を用いるのは禁忌である。ただし、施主がそれを望む場合には目を瞑らねばならない場合があることも承知するべきである。施主が信じる神とする勝負は、鼻からついているも同然で負けることは目に見えているのだから。

『探偵は一人だけ』 つまり推理の主人公は、一人だけでなければならない
。一つの問題を扱うのに、三人、四人の探偵、時としては探偵の集団の頭脳を持ってくるのは興味を分散させ、論理の脈絡を断ち切るばかりでなく、発端からして、自分の頭脳を探偵のそれと取り組ませて、知能的戦いをする心がまえの読者に、不当な不利益を与えることになる。

一人以上の探偵がいると、読者は、その相手とする推理者が誰なのかが解らなくなる。それは読者をリレー・チームと競争して走らせるようなものだ。

『設計者は一人だけ』つまり建物の計画を行う際には、一人でなければならない。一軒の住宅を考えるのに、三人、四人の設計者、時として集団の頭脳を持ってくるのは、施主の思考を分断させ、論理の脈絡を断ち切るばかりでなく、発端からして、施主自身の生き方と設計者の考え方を取り組み、理想の家を追求しようとする施主に、不当な不利益を与える事になる。

特に、複数の設計者から計画案の提案など受けようがものなら、施主は自身の生き方や理想など忘れて、その中の一番見栄えの良いものを選択する事になる。それは設計者自身の立場を貶めるだけでなく、施主の大切な物まで蔑ろにしてしまう危険性を含んでいる。

10犯人だと判明する人物は物語の中で、大なり小なり重要な役割を演じた人物でなくてはならない。つまり読者に馴染まれ、関心を抱かれた人物でなくてはならない。最後の章で、局外者あるいは物語の中で全然重要な役割を演じなかった人物に罪を着せる作者は、読者と知能を競う能力がないことを告白するものである。

10建物を設計するときに、大切にするキーワードあるいはコンセプトは、施主にとって馴染みやすく、かつ理解しやすく関心を抱かせなければならない。建物が完成した後においても「何でこんな建物なの?」と、全く理解されていないなどと言う状況は、設計者のコミュニケーション能力の低さを告白するものある。

11作者は使用人、執事、馬丁、部屋男、猟番、料理人等々のごとき下層階級の者を犯人として選んではならない。それは高尚な問題の論点を誤魔化すことである。あまりにも安易な解決である。不満感を与え、読者には時間を浪費したと感じさせる。

犯人は絶対に相当な人物、普通では嫌疑をかけられない人物でなくてはならない。犯罪が召使風情の下劣な仕事であれば、作者は、それを記録にとどめるために、本の形にまでする必要はないからである。

11設計者は明らかに人体に悪影響を与えるようなホルムアルデヒドを多量に含んだ材料、有害な防虫剤、有害な防腐剤のごとき程度の低い材料を選んではならない。それは安心を求めようとする施主を誤魔化すことである。

いくらローコストを求めるからとは言っても、あまりにも安易な解決方法である。設計者のアイディア、設計コンセプト等は誰でもが思いつくような程度の低い物であれば、設計者は高い設計報酬を取る必要はないからである。

12いかに多くの殺人が犯されるにしても、犯人はただ一人だけでなくてはならない。もちろん犯人は端役の協力者、または共犯者を持っても良い。しかし、全責任は一人の人物の双肩にかからねばならない。読者の全憎悪は、単一の邪悪な性質の持ち主に集中するようにされねばならない。

12いかに多くの建物を設計するにしても、その一つ一つの建物を大切にしなければならない。設計者にとっては何件かのうちの一軒でも、施主にとってはその一軒が全てなのだから。施主が自分の家の事だけを考えているように、設計者も全ての一軒に集中しなければならない。
13秘密結社、カモラ党、マフィア党(ともにイタリアの犯罪陰謀団)等々は推理小説に持ちこんではならない。その場合、作者は冒険小説やスパイ・ロマンスの分野に入って行くことになる。魅力ある、ほんとうに見事な殺人は、このような「十羽一からげ」の有罪性によって、償い得ないまでに汚毒される。

たしかに推理小説中の殺人は、正々堂々としたチャンスを与えられてしかるべきであるが、(いたるところに避難所を持つとか、集団的保護を与える)秘密結社に逃避を許すのは行きすぎである。第一級の自尊心ある殺人犯人は誰しも、警察との一騎打ちにおいて、このような優位を欲しないだろう。

13○×ホーム、□△ハウスと言った住宅メーカーの既成プランを自分の計画図に用いてはならない。この場合、設計者自身の能力の低さを露呈する事になり、結果的に全ての設計者の品格や能力までもを貶めることになる。

確かに設計行為においては、似たような間取りになってしまう事も有るかもしれないが、オリジナルな発想から生まれた物と、パンフレットからコピーした間取りでは「似て非なるもの」なのは歴然であり、説得力が違う。一級建築士だと自負するのであれば、施主との真剣勝負において、このような愚行による提案を欲しないだろう。

14殺人の方法とそれを探偵する手段は、合理的で科学的でなくてはならない。つまり、ニセ科学、純粋に空想的で、投機的な手法は探偵小説では許されない。例えば新しく発見されたと称する元素【超ラジウム】と言ったような特殊な物質で、被害者を殺すのは推理小説として正統な手段ではない。

また、作者の想像の中でのみ存在する珍奇で、未知の毒物を服用させてはならない。推理小説の作者は毒物学的に言えば、薬局方の範囲内にとどまらねばならない。ひとたび作者が、ジュール・ヴェルヌ式の空想世界にあま翔り、野放図も無い冒険の領域に跳躍すれば、推理小説の埒外に逸脱してしまう。

14設計の方法とそれを行う作業は、合理的で科学的でなければならない。つまりエセ論理や、いい加減な思い付きだけで設計図を書き上げてしまうような真似は許されない。例えばどこぞの本で読んだばかりの言葉を用いて【これが今のライフスタイルです】と言った流行を押し付け、受け入れなければダメだと思わせるような言葉だけに頼る行為を行ってはならない。

同時に「宙に浮く家」だとか「天界に通じる階段」と言った大袈裟なタイトルを付け、「ガラス製の見えない階段で天に通じる雰囲気を云々」と、とても施工できないような建物や住むことに耐えられない計画を書いてはならない。それはSF小説の世界に逸脱してしまうからだ。

15問題の真相は、終始一貫して明白でなければならない。ただし、読者が、それを見るだけの鋭敏な目を供えていることを必要とする。と言う事は、読者が犯罪の解明を知ったあと、もう一度、その作品を読みかえして、解答はある意味で面前で読者を凝視していたこと。

全ての手掛かりは、事実上犯人を指向していたこと。読者が探偵と同じように頭が良かったならば、最後の章に悪戯とも、自分で謎を解き得たことを悟ることを意味する。

賢明な読者がしばしば、このようにして問題を解決することは言うまでもない。

推理小説についての私の基本的理論の一つは、推理物語が公正に正統的に構成されていれば、全部の読者を相手に解決を防止することは不可能だと言うことにある。作者と同じ程度に俊敏な読者が常に相当数いることは避けがたいだろう。作者が犯罪とその手掛かりの叙述と提出の仕方について、適当なスポーツマンシップと誠実性を示せば、これらの洞察力を持った読者は分析、消去法、理論を駆使して、探偵と同時に犯人を指摘しうるだろう。

そして、そこにこのゲームの妙味がある。また、そこに、ふつうの大衆小説を鼻であしらう読者が、顔を赤らめないで推理小説を読む事実の説明がある。

15住宅の設計コンセプトは、終始一貫していなければならない。ただし、施主が、それを認識できるだけの事前の打ち合わせと了解している事を必要とする。と言う事は、施主が完成した家を見た後、もう一度、その設計図を見直して、「ああ、ここはこんな風になるように書いてあったのね~」と納得できる事。

全ての設計図書は、事実上完成体を明確に想像できるように書かれている事。施主に設計者と同じように図面を読み取る事が可能だとしたら、完成間際になって自分でも想像出来得た事を意味する。

賢明な施主がしばしば、このようにして設計図の段階、若しくは完成予想模型で理解する事は言うまでも無い。もっとも、そうは上手くいかない場合が多い事も事実として認識すべきではあるが。

住宅設計において私の基本的理論の一つは、設計図書が公正に正統的に構成されていれば、尚且つ設計者が施主に正しく理解させるべく努力していれば、施主が完成した家を見て「ええ~、こんな格好になるとは思いませんでした」などと言う事は避けられると信じている。設計者以上に施主は我が家に対する思いが強いのは当然であり避けられない事実であろう。ならば設計者は施主に、どんな家になるのかを論理的かつ客観的に施主にイメージさせるべく、あらゆるコミュニケーション方法を用いて伝えるべきは当然の責務であろう。

そして、そこに設計と言うゲームの妙味がある。また、そこに、普通のメーカー住宅では無い物を求める施主が、顔を赤らめないでも住むことが出来る家が完成するというものでもあろうと思う。

16推理小説には長たらしい叙景の章節、脇道に反れた問題についての文学的饒舌、精緻をきわめた性格分析、雰囲気の過重視があってはならない。そのような事柄は犯罪の記録と推理では重要な地位を占めていない。

筋の運びを抑止して、主目的と筋違いな問題を導入する。推理小説の主目的は問題を提出し、これを分析し、成功裏に結論に導くことである。もちろん、物語に真実性を与えるためには、適当な叙景と性格描写がなくてはならぬが、推理小説の作者が迫真の現実感を創り出し、登場人物と問題に対する読者の興味と共感を獲得する程度まで文学的才能を発揮したら、それでもって犯罪事件の記録が必要とする、正当で適正な純文学的技法は尽くされたとすべきである。

推理小説は冷厳な仕事であり、読者がこれを手にするのは文学的扮飾や、スタイルや美しい叙景や、滲み出る情緒に惹かれたからではなく、ベースボールの試合や、クロスワード・パズルに熱をあげるのと同様に、頭脳の刺激と知能活動のためである。

ポロ・グラウンド球場(ニューヨークの)の試合最中に、自然の美しさについての講演は興味を損ない、二つの野球チームの死闘への興味を高めるには全く役立たないだろう。

クロスワード・パズルの鍵の中に、語原学や綴字法についての講釈を差し挟むことは、言葉を正しく組み合わせようと努力している、解き手をイラだたせるだけに過ぎない。

16住宅設計には長たらしい横文字の設計趣旨や、脇道に反れた己が博識である事だけを披露するような説明、精緻を極めただけの、ただ見た目が綺麗なだけの図面、重々しい格式があってはならない。

そのような事柄は計画の過程、あるいは帰結時において何ら重要な意味を持たない。作業の流れを抑止して、主目的と筋違いな問題を導入する事になる。住宅設計の主目的は問題を提出し、これを分析し、成功裏に結論に導く事である。勿論、作業に適正さと真実を与えるためには、適当な説明と揺ぎ無い自信が無くてはならないが、建築家自身が自己陶酔の世界に入り込み、まるで「我が家」の如きに心酔したら、それこそ施主にとっては、この上ない不安材料になってしまうのである。

建築設計は優しさと豊かな想像力が必要であり、施主が建築家を選ぶのは、アルマーニのスーツ姿に魅了されたのではなく、ましてやマセラッティに乗っているからでもなく、一編の詩集や一枚の絵画に心奪われる時のように、心と感性のシンクロ率が高かったからに他ならない。

たった一行の詩に100頁を費やす説明は必要としないし、絵画の良さを説明する為に、大作映画を製作する必要も無いのと同じ事である。

17職業的犯罪者に、推理小説中の犯罪の責任を負わせてはならない。押し入り強盗や山賊による犯罪は警察の領分であり、推理小説の作者や明敏な素人探偵の扱う分野ではない。そのような犯罪は、警察の殺人課の日常の仕事に属する。

真に魅力ある犯罪は、教会の重鎮とか、事前事業で知られた独身婦人によって行われたものである。

17どんなに急いでいるからと言っても、あるいはどんなに「簡単な家で良いですから」と言われたとしても、新聞広告に載っている間取り図を参考にするような恥さらしの真似をしては成らない。それは営利追求の企業が行う蛮行であり、建築の理想と実現を追及する建築家の姿ではない。

真に魅力ある建築家とは、協会の重鎮のように語らずとも、あるいは慈善事業で知られた独身婦人のように目立たずとも、堅実に真摯に、ただ目の前の施主のみの為に努力する寡黙な人である。

18推理小説の犯罪は、結末になって、事故死とか、自殺となってはならない。探偵推理のオデュセイアをこのような竜頭蛇尾で終わらせるのは読者に対する許すべからざる欺瞞行為を行なうことである。

もしも、本の買い手が犯罪がインチキだったと言う理由で、二ドルの返還を要求した場合、正義感を持つ法廷だったら、原告に有利な判決を下し、善意を持って信用した読者を、このようなペテンにかけた作者に厳重な戒告を加えるであろう。

18建築家の描く設計図は、結末になって、納まらないとか、絶対にセオリーから外れていると言う物になってはいけない。建築設計のオデュセイアをこのような竜頭蛇尾で終わらせるのは施主に対する許すべからざる欺瞞行為を行うことである。

もしも施主が設計図がインチキだったと言う理由で設計料の返還を要求した場合、その計画図が完成したとしたら後世に残るほどの名建築であろうとも、厳しい裁きを受ける事は明々白々である。

19推理小説における、すべての犯罪の動機は個人的なものでなくてはならない。国際的陰謀や戦争政策は別の部類の小説、例えばスパイ物語に属する。しかし殺人物語はいわば【心情】を含んでいなくてはならない。

読者の日々の経験を反映し、読者自身の抑制された欲求と感情に、ある程度はけ口を与えねばならない。

19建築家を自負する、あるいは有らんと願う設計者が想像する物は、その中の何処かに設計者自身の想いを込めたもので無ければならない。右から左に書き写すだけのような建物は、どこぞの企業にでも任せれば良いし、それを望む施主にとっても設計者の存在価値は無いに等しいだろうから。

住宅設計に限って言えば設計者自身の【心情】を含むべきであり、含んでなければならないとも思う。住み手の日々の経験を反映し、設計者自身が日々思う事を盛り込めてこそ、まさに住宅設計であると言える。

20そして、私は私の信条の項目を偶数にするために、自尊心のある推理小説作家なら誰しも、今では使うことを潔しとしない、幾つかの手法のリストをここに掲げる。それらの手法は、あまりにもしばしば使用されてきて、文学的犯罪の真の愛好者すべての馴染みとなっている。それを使うことは、作者の無能と独創性の欠如を告白するものである。

イ-犯罪の現場に遺棄されていたシガレットの吸いさしと、容疑者のふかしている銘柄を比較して、犯人の正体を決定すること。

ロ-インチキ降霊術で犯人を脅し、自供させること。

ハ-偽の指紋。

ニ-替え玉によるアリバイ。

ホ-犬が吠えないので、侵入者が馴染みのものだと解る。

ヘ-双子とか、嫌疑はかけられているが無実な人間と瓜
二つの近親者を最後に犯人として取り押える。

ト-皮下注射器や即死をもたらす毒薬。

チ-警官が現場に踏みこんだあとでの密室殺人。

リ-言葉の連想反応実験による犯人の指摘。

ヌ-最後になって、探偵が解読する文字または数字による暗号

20そして、私は私の信条の項目を偶数にするために、自尊心のある設計者なら誰しも、今では使う事を潔しとしない、幾つかの手法のリストをここに掲げる。それらの手法は、あまりにもしばしば使用されてきて、建築家を志す者、あるいは本当の意味での「家」を求めんとする住み手達にとっては馴染みとなっている。それを使う事は、設計者の無能と独創性の欠如を告白するものである。

イ-施主が書いた方眼紙の間取り図を清書し、「どうです、貴方の理想通りでしょ」と臆面も無く提示すること

ロ-インチキ占いで間取りを決定し、神憑り的な錯覚で強要すること

ハ-過去に書いた図面のコピーを如何にも今書きましたと言う顔をして提供すること

ニ-自分以外の人物に書かせた図面を、自分が書いたと提示すること

ホ-犬小屋の設計図を拡大し、「貴方の家です」と提示する

へ-自然を跡形も無く破壊し、そっくり同じ物を人工物で作るような真似

ト-到底施工出来ない理想と現実が綯い交ぜになった計画

チ-施主が他の建築家に書かせた計画図をトレースする

リ-英語で書いた設計趣旨書

ヌ-最後になって建築家だけが解る、謎の仕掛けだらけの計画

以上を20の心情と考えたい。

以上を20の心情と考えたい。

■ご注意■

ヴァン・ダインの「ミステリにおける二十則」を参考にして、「建築における二十則」を書いてみました。「ヴァン・ダインの二十則」を、ご存知で無い方にも、参考になれば幸いです。