Diary 2003年7月17日

痴漢の冤罪を助けるボランティア団体の会長が、電車内で携帯を使った盗撮で捕まったと言う事件を聞きました。
犯罪行為その物もいけませんが、何よりも大勢の人を騙すような行為はダメでしょ~。これって政治家や警官が犯罪起こすよりも性質が悪いと思うけど。

『冤罪被害者を助けますよ~、ボランティアですよ~、手弁当活動ですよ~』と言って、自分の弱さや小ささを前面に出し、大きな力に対抗しようとする図式でしょ?だから大勢の人に、いろんな意味で助けて貰って活動しているわけでしょ?
その裏でやってることはこれかい? こんなのを子供に見せるから、子供が真似するんじゃないの?
子供って表面じゃなくて、本質を見ていると思う。そう言う意味では、大人より鋭いよ~。

「人の気持ちは裏切りましょう」
「相手の気持ちを考える必要はありません」
「自分がやりたいようにやりましょう」

って言うのが、この事件の本質でしょ?って言われたら、どうやって反論する?ボランティア活動の価値まで問われかねないと思うんだけどなぁ・・・・・。


同時に、道具が便利になるとモラルが失われていく・・・と、言いたくないんですけどねぇ・・・・・。
★★★ プリントを待つ間、手持ち無沙汰だったので、細長い黄色の付箋紙を三角に折りたたんでいた。
ふと子供の頃の体育で使ったハチマキを折りたたむのを思い出した。確か三角じゃなくて、変な台形みたいな形に折っていたような気がする。男子は赤白帽で女子がハチマキだったんだっけ・・・・・あれ?なんで私がハチマキをたたむのを思い出すんだ?私・・・子供時代は女子だっのか?(笑)

もう一つ思ったこと。
自分て、決して誰かには成れないし、誰かも決して自分には成れない。でも人って我侭だから、自分に出来ることは人にも出来て欲しいと思う時がある。そう言う気持ちって「親が子」に対して思うこともあるだろうし、友達が友達に思うことも有るかもしれない。ひょっとすると上司が部下に思い、先輩が後輩に対して思うのかもしれない。あっ!先生が生徒に思う時だって有るよね。

その時々で、それを期待と呼んだり、願いと呼んだり、ひょっとすると祈りだったりするかもしれない。
ただ、どれも「そう有ってほしいなぁ~」と言う、希望的観測でしかないんだけどね。

それを感じ過ぎると辛くなるのかも? 結局は自分をキープするのが一番てことかな~。