Diary 2004年3月9日

ふつう・・・死んだら少しは同情されるか、少なくても死者に鞭打ったりはしない。でもそうでない場合もある。
最初の対応さえ間違えなければ、同じ同情される側・・・あるいは被害者だったのに、自分のリスクだけは減らそうと欲をかいた瞬間に加害者になってしまう。そしてその責任は死んでも許されない・・・・・・。


まるで生贄だ。
自然発生した病気は、人知を超える場合がある。その時のリスクは平等な筈。そして誰でも自分だけは助かりたいと思ってる。ただ、その思いをあまりにも正直に、あまりにもストレートに表に出してしまうと、とっても鼻に付く行為になる。
そしてそれは誰にも受け入れられない。

確かに動き方は倫理に反するし、食を生業にする者にとっては「あるまじき行為」だと思う。でもなんかヘビーだ・・・・・
国民を守るお偉いさん方は、「痛ましい事です」と言うが、どこか他人事めいている。

「弱った鶏は出してしまうが定石」と、あまりにもストレートに言うから叩かれる。
だけど法律で規制され、使えなくなると予告された材料を、滑り込みで規制対象前に使い切ってしまう業界だってある。
どこか違うところがあるのかな?

リスクをリスクとして受け入れる倫理と、リスクを回避したいと思う人情。
結構、両方とも分かっちゃうんだけどなぁ~・・・・・・・・・なんて言うと、「じゃあ お前も死ね」って言われちゃうのかな?


誰かが死んだり、誰かが弱っていく事をなんとも思わない心が、こう言うことに繋がるのかな。
子供を虐待する親も、友達を虐める子供も、自分の会社だけはリスクを少なくしたいと思う養鶏業者も、根っこは似ているのかもね。人の痛みなんか知っちゃいねぇ!・・・って。

なんか今日、尖がってるわ・・・自分