Diary 2006年9月8日

徳山高専の事件で、容疑者とされてた19歳の男性が遺体で発見された。どうやら状況から見て自殺らしい。
なんでだろう、最近の若い人って『友達の作り方が下手』と言うか、友達を作ったとしても、その『繋がり方が浅い』と言うか『薄い』気がする。誰かに恋の悩みを相談したり、トラブルに遭遇した時に、自分の事のように親身になってくれる友達を、作れていないような気がする。

個に慣れ、個を好み、あるいは結果的に、個になっているのに、群れているような振りをして、表面だけの薄っぺらい友達関係だけが成立してしまう。そのくせ、個の強さだけは持ち合わせていない。その稚拙さは、まるで幼子。

だから友のために泣かないし、喜んでやることも出来ない。その場で笑ったり、泣いたりしたとしても、それは雰囲気に酔っているだけで、『泣いてる自分が好き』みたいな自己愛の延長でしかない。だから、その時の事を一生思い続けたりは、決してしない。次の瞬間には、別の人と大声で笑ったりすることが出来てしまう。

そんなふうに感じることがある。

「違うよ」と言われるかもしれないけれど、少なくても、そんな希薄な関係を「親友」なんて言葉で、取り繕おうとしているようにしか見えない。だから、今の若者には「親友」が多い。親友が何人も何10人も居たりする・・・・・・・・・・・有り得ない。
もし、今の若者の大半が何10人も親友を持っているのだとしたら、次の時代はなんと明るい事かと期待さえするが、それがただの「妄想」だとしたら、次の世代は絶望的かもしれないとも思う。

人の心は見えないから、覗いて見たくなるし、触れてみたくなる。でも自分の心の中さえ分からないのに、人の心の中なんて、おいそれと分かる筈が無い。そのことを知らないのだろう。普段、コントローラーで人物を操ることに慣れ、自分が痛みを伴わずとも、敵と戦うことに慣れているから。

いや、別にゲームを責めている訳じゃない。ただ、なんとなく後味の悪い結末に、少し悲しいだけ。
被害者の親も、加害者の親も、哀しいだけ。親は、親の痛みにシンクロするのです。

ひょっとすると、防げた事件、止められた死だったのかもしれないと、思う訳です。