イデオロギーが醜く感じた瞬間

広島高裁で行われている「山口母子殺害事件」の差し戻し控訴審だが、事件の凶悪さ・残忍さも然ることながら、裁判で「もう一度傷付けられる被害者やその家族」の心中を思うと、なんとも残酷で、なんと辛く長い時間なのだろうと感じてしまう。
また、21人と言う異例の大弁護団は、事件の中身を精査するのではなく、死刑と言う刑罰の是非を論議していることは誰の目にも明らかで、記者会見を聞いていると、事件の本質とは違う次元の話をしているように聞こえてしまう。
たしかに死刑に対する考え方を問うことは重要だと思うが、それを個別の事件に重ね合わせ、無用に被害者の傷を弄ぶ行為は、法の代弁者と言うには、あまりにも配慮に欠けているし、それが秤のバッジを胸に付けている者の使命、あるいは特権だと考えているのだとしたら勘違いもはなはだしい。
主義主張・思想宗教は大事だが、それを主張する事を、被害者の犠牲の上に立って行うことは愚行と呼ばれても仕方が無いと思う。
8年の月日が流れても、事件の真実がぼやけるばかりな事が、とても残念です。

コメント

  1. 思想の日 より:

    人生論ノート (新潮文庫)

    三木清が人生のテーマについて三木清独自の論点から書かれています。哲学者らしく難解なものも多く読んでもすぐに理解できない行も多いです。暇なときに気楽に読める本ではありません。ただ、人生に対する疑問、ニヒリズムなどに襲われたときその一節のそれぞれが価値あ