人の振り見て

家の工事をする際に、一番避けたいのは近隣とのトラブルだ。
どんなに気を使って作業をしていても、工事の音と言うのは、意外とやかましい。車だって通り難くなるだろうし、見知らぬ職人だって近くを出入りする。
コンクリート打ちの時には生コン車、建前の時にはクレーン車、荷物を運んで来るときには、大きなトラックだって現場に来る。自分の家の隣で工事していたら、きっと喧しいと感じる筈。だからこそ現場では、みんなが自分の家の隣で工事をしているように気を使う。そして何よりも、その家に続む家人と近隣との関係に、摩擦を残していきたくないと思うから。
ところがそれでも稀に、ご近所に迷惑を掛けてしまう事もある。そんな時には平身低頭でお詫びする。大抵の方は「お互い様ですから良いですよ」と言って下さる。その言葉に恐縮しながら、完成後に家人とご近所が、良い関係になって欲しいと願う。
ところが稀に、こちらの不手際に激昂される方がいる。
迷惑を掛けたのはこちらだから、ひたすら頭を下げ続けるのだが、「言葉の鉈」を、何度も何度も、繰り返し繰り返し振り下ろす方が居る。まるで親の敵に、呪いの言葉でも掛けるが如くに。
そこまで怒られるような事はしていないと思うのだが、それはこちらの言い分で、あちらにはあちら様の言い分があるのだろう。だからひたすらゴメンなさい。
ただ、ふと思うのです。
自分は人に物を言う時に、こう言う言い方をするのは止めようって。
怒りをぶつけるときに、大きな声で相手を罵倒しても、伝わらない時がある。
静かに冷静に話す言葉の中に、重い意味が伝わる事もある。
どちらかを自分が選べるのだとしたら、目上、目下に関わらず、相手を人として真摯に話せる人になろうと思うのです。
自分たちの仕事は家を造る事ではなく、その家で生活する人の為に、少しでも快適な環境を提供する事だから。そしてその環境の中には、近隣との関係も少なからず、含まれていると思うからです。

コメント

  1. 他山の石 より:

    平身低頭のお姿を思い浮かべると胸が痛みます。探偵長のお気持ちは伝わっていると思うのです。それでも「相手の言うことを理解するイコール敗北」とばかりに突っ張って言葉の鉈を振るうのは、何事かに対する悲しい反動なのかもしれません。何がそうさせるのか場合場合で異なるでしょうけど、必ずしもひとごとではないなと考え込んでしまいました。明日はいいことがありますように。

  2. 以前学生の頃、事前事後の建物調査のアルバイトをしてました。
    これから建つ建物周りの一軒一軒を訪ね、平面図作成と水準計を使っての歪みを調査&クラックを見て回りましたが、工事の人間が説明を済ませた家と済ませていない家では対応が違いましたね
    その時私も、これからそこに住む人間の為に耐える事しばし…。工事の挨拶と説明は済ませるべきだと感じました(調査の連絡はしましたよ)
    こちらが誠意を尽くしても酷い対応しかしない人間は、他でもろくな人間関係なんて築け無いでしょう。
    有る意味可哀相な奴だと思えば溜飲が下がります(笑)
    探偵長の言う通り、そんな人間にはなりたく無いです。
    でも工事の人間が、あまりにも酷い時には……考えちゃうかも知れません

  3. 探偵長 より:

    「工事の時はお互い様」と言うのは、近所の方の言うセリフで、工事する側が言うセリフではありません。
    でも、だからと言って、工事する側がどんな場合でも「悪」であるとは、言い切れないと思います。
    もっとも工事現場に限らず、世の中にはいろいろな方がいらっしゃるもの。
    その全ての方が、こちらに対して「良い人」であるとは限りませんから
    余計に気を使う必要がありますよね・・・。