収拾付かずの書きなぐり

高校生の頃、ふと気付いた事がある。
自分は集団(友達同士やクラブ・バイト先と言う意味)で居る時に、まず自分のポジションを確かめてから行動していると言うことだった。例えば、その場を仕切る奴が居れば、私は一歩下がって様子を見ている。だけど誰もイニシアチブを取らずに、議論が止まったり、次に何をするべきかが分からなくなってしまった時には、取り合えず自分が何かを言おうと考え、その通りに発言した。
それから何かの議論をして居る時に、最初から最後まで一つの意見だけでまとまってしまい、対案や別の考え方を模索しないままに結論が出そうだと感じたときには、取り合えず反対してみる。廻りからは疎ましく思われたと思うが、真逆の考え方を示すことで、議論の活性化を狙ったりしたのだ。今で言う「KYな奴」だったのだろう。
なぜそんなことをしていたのかと言えば、たぶん親の都合で各地を転々と引っ越した事や、片親が居ないと言う事を、「自分の中でのハンデ」みたいに思っていたからだろう。
今でこそ群れる事は好きでは無いが、その自分は、孤立する事も嫌だったのかもしれない。人の人格や行動・性格を形成するのは、資質と環境と考え方、そして自分の中に抱えているハンデでは無いかと思う。
んんん、ここまで書いて、何が書きたいのかは分かっているのだが、それをストレートに書けない事のストレスが有るなぁ・・・・・(笑)
そうだ! 今朝、近所の人と会ったので「おはようございます」と挨拶をしたら、その方は勿論だけど、傍に居たその方の4.5歳ぐらいのお嬢さんも一緒に「おはようございます」と挨拶をしてくれた。たったそれだけのことで、朝がスッと気持ち良くなっていく。まっ、そんな事が言いたかった訳で・・・・。
歯切れ悪くて失礼。