「ほどほど」の勧め

暑くなるとの予報を聞いて、今年初めて半袖のシャツ。
せっかく半袖のシャツを着たのだから、ウーーーンと、暑くなって欲しい!・・・・・・なんて事は、これっぽっちも思っていない。暑いの苦手だし、インコだって可哀想(←思考が鳥中心) なんでも「ほどほど」で良いのよ、「ほどほど」でね。
「ほどほど」と言えば、最近の人は「ほどほど」と言う程度が、どうも好きでは無いように思える。物事に「究極」を求めたり、「完璧」を期待し過ぎるから、「そこそこ」の出来だった時に不満になってしまうらしい。傍から見れば、十分上手く行ってるんじゃない?と思える事が、本人にとっては失敗に近い評価だったりする。まぁ、個人の評価と言うのは、他人がとやかく言えるものじゃないから、仕方ないと言えば仕方ない。でもその結果、「俺の人生は失敗だ!」と、全てを否定し自暴自棄になる。「こうなったのはアイツのせいだ!」と、他者に全ての原因を押し付ける。それ全て、自分の引いた線が基準での事。それって迷惑。
よく、「人に優しく自分に厳しく」なんて言うけれど、「自分に厳し過ぎる」必要なんて無いし、「他者に厳しく」する必要なんて、もっと無い。
「何事もほどほどに」なんて言うと、「ぬるい」だの「甘い」だの言われそうだが、「ほどほど」をキープし続ける事だって、そこそこ大変なこと。それを知らずして、最高も完璧も有り得ないし、どん底も最低も有り得ない。
少し前に流行った「生協の白石さん」がウケたのは、質問者に対する解答が、「ほどほど」だったからではないかと思う。全てを真面目に考え、100点の解答を提示しようとせず、ユーモアと多角的な視野で相談者の心を「ゆるゆる」と和ます解答の妙。そこに惹かれたのだと思う。
この話し、もっともっと書きたい事が有るのだが、何事も「ほどほど」が良いので、今日はこの辺で。

コメント

  1. 【生協の白石さん】についてサーチエンジンで検索してみると

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