法律だけの問題だろうか?

15名の死者を出した大阪の雑居ビル火災は、号外が出るほどの大騒ぎとなった。
一夜明けた今日は、朝から見識者と称する方々が法整備の不備を挙げ、簡易宿舎としての防火設備の充実や、風俗営業としての適用基準の甘さを指摘していた。過去の例から考えても、今回の事件の影響で関係法令の各種基準が、引き締められるだろうと予想する。それで事故や事件が無くなれば文句は無いし、良い事でもある。が、果たしてそれで本当に、根本的な解決に成るだろうかは、はなはだ疑問だ。
理由は簡単、今回の事件の犯人は狙って火を点けた確信犯だったからだ。それはつまり無差別殺人とも呼べるテロと一緒。それを建物の基準だけで回避できるとは、思えないことが一点。勿論、避難しやすくなると言う利点が有る事は、承知の上での事。
二点目は店舗の経営者の考え方は、法整備では変えられない。
あの手の店舗の場合、店舗側は客の出入りの管理を第一に考える。つまり料金未払いのまま、逃げられ無いようにレジで一元管理できる事が大切なのだ。少ない人で多くの客を管理するには、出入り口は少ないに越した事は無いと考えるだろう。
第三は、ああ言う風俗店舗は入れ替わりが激しいと言う事。
瞬間的に流行るかもしれないが、新手の商売が出現すれば、消えるのもまた早い。つまり店舗のローテーションが早いことは承知の上なので、新規開業時に多くの資金投入が出来ない。つまり客の安全を守るべき設備投資に費用は割けない。ならどうする?潜ってやるか?その方向にシフトする方が、よっぽど怖いことになる。
もし法的に安全確保の基準を強化するのなら、その基準が守られている事を、開業時だけでなく、ショートスパンで見回ることこそが重要になる。でもそんな時間も金も人手も無いでしょ? だとすれば法律に拠る規制のみに頼ると言う事は、事が起こった時のガス抜きでしかないような気がする。
都会は、パズルのピースで出来ている。
それは形状の固定化されたピースではなく、日々刻々と形を変える生きたジグソーパズルのような物だ。だから何時までも完成しないままで、形だけを変え続けて蠢いている。その中に突如として異端のピースが生まれ、そのピースがカオスの中のごく小さな秩序を破壊する。
そんなイメージを思い浮かべてしまう、この事件を含めた最近の事件の数々。
心の問題は置き去りにされたままで、法律法律と叫んでしまうと、事件の本質は見えなくなると思うのです・・・。