昨日の小田原駅のトイレで起きた女性の不審死は、硫化水素による自殺らしいと、報道されていた。
報道によれば、第一発見者の掃除のおばさんをはじめ、隣接する店舗の従業員数名が、体調不良を訴え、病院に運ばれたとの情報もある。偶然だけど、知り合いがその時間、ちょうどその場所近くを通ったと聞き、もう一度驚いてしまった。巻き込まれなくて、本当に良かった。
彼は近くの書店に本を買いに行った際に、そのトイレの前を通ったらしい。運良く、事件発生の前だったようで、異臭も違和感も覚えなかったと言う。だが、一歩間違えれば、彼も事件に巻き込まれていたかもしれない。こうなると、この手の話しは他人事ではない。
30代と言う若い身空で、死を選ばなければならなかった背景や情況には同情する。そして残された遺族の方に対しては、悔やみの言葉も無い。だけど、なんか腹立たしく感じてしまうのは、私の未熟さのせいなのだろうか。
人として、その場所で、この時期のその時間に、その方法を選んで死ぬ事が、他者を巻き込まぬ配慮がなされていたのだろうかと考えてしまう。いや、死を決意するほど追い込まれた人に、他者を思い遣る余裕など無いのかもしれない。その立場に立った事は無いが、きっとそうなのだろう・・・。
だとすれば、他者を道連れにしなかったことだけが、不幸中の幸いと言えるのかもしれない。
今年上半期に自殺した人の数は、17000人を越えたと聞く。
統計の残る78年以降、最大といわれた03年の34427人に迫り、あるいは追い抜いてしまうかもしれないと言う数の多さだ。理由は人それぞれ。そして自殺方法も人それぞれだとすれば、せめて他者を巻き込まぬ・・・・・・・と言っても無理なのだとすれば、せめて巻き込まれぬように気を付けると言うのが正しいのだろうか・・・。
その前に、今一番正しいのは、きっと静かに悔やむ事なのだと思いますが・・・。