口蹄疫報道に思う
連日放送されている宮崎県の口蹄疫感染拡大の問題は、日が経つにつれ事態も深刻化する様相を呈している。殺処分の範囲、ワクチンの摂取、作業人員と重機の確保、消毒薬の確保、畜産農家への補償、宮崎ブランドの維持、対処しなければならない問題は、挙げれば切りが無いほど山積みされている。
宮崎県知事に対応を問い詰めるような記者会見の様子も見たが、なんとも不快な印象を受ける会見の様子だった。対応に苦慮し、頭を悩ませながら奔走して頑張っている人を、そんな事には全く興味も無く、権力者を無用に追及することが、メディアの使命とでも勘違いしているかのようにさえ見える不快な問答。昔、中島みゆきも歌っていたが、頑張らない人が、頑張る人を笑うことは出来ないのですよ・・・・・・と、言いたい。
またネットを検索すると、この件に関して、平気で「口蹄疫パンデミック」と書くメディアや、偉い学者さんのブログを見つけることが出来るが、そのこと自体が宮崎ブランドに、傷を付けていることに気が付かないのだろうかと思ってしまう。
だいたい「パンデミック」と言う言葉は、「世界規模の感染症」を示す言葉であり、またそれは人に対する感染症の流行を示す言葉の筈。事態の収束を素早く行うことは必要だし、感染の拡大に対する啓蒙や注意は必要だが、必要以上に宮崎ブランドの食肉に対して危機感を煽ることは好ましくないのではないかと思う。
もし地域の流行と言う意味で使いたいならば、「エンデミック」が適当だと思うが、この言葉でさえも今回の口蹄疫に対して用いることが正しいとは思えない。
手っ取り早く目立つ言葉を、アイキャッチとした用いたい気持ちはよく分かるが、使い方を間違えてしまうと、知らないところで誰かを傷つけてしまうこともある。何も出来ないなら、せめて「何もしない」ことが緩やかな協力だと思いたい。
日本の食の安全は、誰かの犠牲の上に成り立っていることを、あらためて感じてしまうこの事件。
いつの世もTVの向こうに写る映像は、別の世界の話だと高を括っていられる時代でもない。
ブラウン管のTVから液晶のTVに移り変わると、最初に気付くのはその薄さだと思う。そしてその薄さにはTVの向こう側とこちら側の距離が、縮まったことを意味していると言えなくも無い。
風評被害を出さないこと、広めないことも、また緩やかな協力だと思いたいのですよ・・・。
コメント
口蹄疫の感染の広がりは、赤松農水相の無能とサボリに起因する人災。赤松農水相は責任をとって辞任すべき。
なるほど、そういう考え方もあるのですね。
辞任云々に関しては分かりませんが、一日も早い事態の収束を祈るばかりです。