散歩の途中で、銅板で葺かれた屋根の家を見掛けた。
手の込んだ細工が施された棟飾り。瓦棒も角では無く丸く細工されていた。
最近、こう言う屋根の家を見かける事が少なくなってしまったが、何年か、あるいは何十年後かに、これを造って欲しいと思ったときに、職人さんが居なくなっていなければ良いのだが・・・と、感じる。
職人さんの技術と言うのは、伝承芸だと思うのです。
今、造らない物は、100年後には造りたくとも造れなくなってしまうのではないだろうか。
同じ品質、同じ完成度を持つ画一化された物は、10年後でも100年後でも同じように造れると思うけれど、人の手によって造られる物は、その人が居なくなってしまえば造ることが出来なくなる。
某漫画家さんが日本の街並みを見て、「暗い色ばかりで面白くない」と言った趣旨の発言をされていたが、本当にそうだろうかと疑問を抱く。
木造建築を愛し、発展させてきた日本という土地柄、想い、気候や風土、地域ごとにある特徴的な因習や慣例、人の心と接し方、共栄、信仰、それら全てが帰結する街並み。それらはみな美しかった。
だけど時は移り、その中に「我」を通すことの連鎖が生まれ、いつしか街並みに不和を生む。
それを変革と呼ぶこともあるだろうし、リズムと呼ぶ人も居る。
進歩だと語る人も居れば、個の時代だと叫ぶ人も居る。
いろんな人が居る。
いろんな建築がある。
統一することは出来ないし、どれが正しいと決めることも出来ない。
ただ、美しいと感じる物が、人それぞれの心の中にあるだけで。
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