スケッチブックから見た『女王国の城』


2007年に出版された有栖川有栖氏の『女王国の城』は、数々の賞を受賞された本格ミステリ作品。
その作品で、舞台となる建物の図版を作成させていただくと言う、ありがたくも驚きのお手伝いをさせていただきました。オファーを頂いたときの感激と興奮、楽しくも緊張した打ち合わせの日々は、今でも懐かしい思い出です。そんな私にとっても大切な作品である『女王国の城』が、今年1月に文庫化されました。そして図版もまた、ほぼそのままの形で使っていただきました。
感謝の意味を込めて、この『女王国の城』を、建築的な視点から御紹介させて頂きたいと思います。


日本のミステリーに登場する天才建築家と聞いて、直ぐに思い出されるのは、なんと言っても中村青司だと思います。綾辻行人氏の「館シリーズ」に登場する建築家で、奇怪な館ばかりを設計し、その館で、これまた奇怪な殺人事件が起きるというシリーズの中の建築家です。作品中に中村青司本人が登場することはありませんが、(生身の人物としてという意味)知名度から言えば、この人がまず一番でしょう。
他にも東川篤哉氏の『館島』には、天才建築家の十文字和臣が登場していますし、米澤穂信氏の『インシテミル』の舞台となる暗鬼館も、天才建築家が設計しています。残念ながら天才建築家の名前は忘れてしまいましたが・・・(それとも名前は出ていなかったか?)
まだまだ探していけば多くの天才建築家が存在するミステリ界に、また新たな天才建築家が誕生しました。それが有栖川有栖氏の『女王国の城』に登場する天才建築家・熊井誓(くまいせん)です。


熊井誓は日本を代表する若手の天才建築家で、世界的にも知られた鬼才でした。
その熊井氏が木曾山中の山奥に、ある宗教法人の関連施設を設計したのが、本作品の舞台です。
宗教団体は宇宙人を救世主と崇めており、どこか世紀末思想を持っているよう。そのせいか、教団本部はUFOの形を模した3つの建物と、それらを両側から挟む二つの塔がシンボル的に立っている、どこか未来的であり、どこかこの世の物とは思えないような形で、それはまさに城と呼ぶに相応しい建物でした。
『女王国の城』スケッチ・ブックより.2
街には、この教団本部の建物のほかに、4つのシンボリックな建物が建てられています。
松毬(まつぼっくり)のような形をした宝物館、飴のように溶けたトロフィーのような集会場、伏せたラッパのような瞑想館、そして作りかけのロボットのような形をした資料館。
『女王国の城』スケッチ・ブックより.3
4つの建物は、何かを意味するかのように街の四方に建てられています。
街に入る道は街の南側に接する国道、ただ一本。その道の周囲には、古くからの地元の人たちの家が建っています。その集落を真っ直ぐに突っ切るように道が設けられ、中心部から東と西エリアには信者の家が建てられています。さらに幅20mもある広い道を北に向かうと、正面に教団本部の城が聳え立っていると言う配置なのです。
それぞれの位置関係をイラストにして書くと、なんとなく「曼荼羅」の図式のようにも見えます。天才と呼ばれる熊井誓氏のことですから、個々の建物だけでなく、この街全体の都市計画を考えていたとしても不思議ではありません。いえ、考えていなかったと言う方が無理がある。そしてそのキーワードに、宗教の心理・神の教え・世界を図式で表すと言われる「曼荼羅」をモチーフにすることは、十分に考えられることです。なぜならこの熊井氏は、教団関連施設のすべての建物の設計が終わった時に、設計料の中から1億円をお布施として教団に納め、自分も入信しているのです。設計のコンセプト・ワークの中に、教義を取り入れることは、なんら不自然ではありません。
『女王国の城』スケッチ・ブックより.1
これだけの設計をする熊井氏が、その後どんな活躍をしたのか大変気になるところですが、本作品は「天才建築家・熊井誓シリーズ」ではなく、やっぱり「江神二郎・学生アリス・シリーズ」なのです。
熊井氏ではなく、江神さんの次なる活躍を待ちたいところです。と、書いてしまうのも、学生アリス・シリーズがお好きな方には、なんとも微妙なところではありますけどね。なんといっても次作が、シリーズ完結作になるかもしれないと言うことですから、読みたいような、読みたくないような? かもしれません。
長くなったので最後に一言だけ。
この女王国の城全体の位置関係や大きさを把握する作業は、本当にたいへんな作業でした。それをなんの図面やスケッチも描かずに、頭の中だけで人物をあちらに動かし、こちらに走らせる有栖川さんの頭の中は一体どうなっているのかと、図面化する作業中に何度も驚かされたものです。
『女王国の城』が多くの方に読まれることと、益々の御活躍をお祈りしております。

天工舎一級建築事務所
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コメント

  1. みけねこ より:

    こんばんは。
    2007年、『女王国の城』が発表されたとき、あまりの興奮にこちらのブログに大迷惑をおかけしたことを、今でも申し訳なくそして懐かしく思い出します(苦笑)
    もちろんこの文庫版も早速購入し、先日のイベントでまたまた有栖川先生に突撃して無理矢理サインを頂いてきました☆
    学生編はこれまで、現場の地理(山とか孤島とか)の見取り図はありましたけど、建築物というのは初めてでしたよね。
    有栖川先生は、これらの世界を口頭で探偵長様に伝えられたのですか!もともと有栖川先生が自らスケッチされたラフとかも一切なく?ひゃあ☆
    作家さんですから当然、思考もテキストとして働くのだと思ってましたが、そうでもないのでしょうか…。

  2. 探偵長 より:

    みけねこさん、こんにちは。
    有栖川さんの御様子を、みけねこさんのブログから見せていただく昨今、いつも読み逃げばかりで失礼しております。
    あれ?『女王国』の建物の全体略図に関して、どこかで書いたような気がするのですが、気のせいだったかなぁ?
    あの建物の世界観は、有栖川さんの基本イメージがあったんですよ。有栖川さんが御自身で書かれた全体のイメージ図を頂戴して、それを踏まえてあの形になったんです。
    ずっと以前に、有栖川さんとの出会いから図面を起こす作業や打ち合わせの様子、有栖川さんとのイメージの摺り併せに編集者さんが冷や汗をかく場面などを、原稿用紙50枚弱の内容で書いた事がありました。でも読み返して、ただのブログの延長のような物で、退屈だったので何処にもUPしませんでしたけどね(笑)
    今となれば、それも大切な思い出です。
    有栖川さん直筆の、女王国の全体平面図と外観イメージは、UPすれば喜ばれるのでしょうか?