先に断わっておきますけど、私ノンポリです。
宗教にも信心しているものは、ありません。
神社に初詣に行き、お宮さんに祈願もすれば、クリスマスも祝うし、家は禅宗です(笑)
それを踏まえて書きますが、大阪市職員の刺青問題は、常識の範囲で橋本市長を支持します。
なんで「刺青は文化だ」とか「外国ではファッションだ」「魔女狩りだ」と、口角に泡飛ばして反論する人が居るのか、ぜーんぜん分からないのですよ。
例えば、家の設計を依頼しに、設計事務所を訪れたとします。
対応してくれた建築家は感じの良い人でしたが、ふとした拍子に、二の腕に刺青が入っているのが
バッチリ見えたとします。そのとき、刺青を見つける前と見つけた後で、何も印象は変わらないと言えますか? 私なら間違いなく引きます。
普段は大人しい人が、自分の思い通りに行かない時は、現場で諸肌脱いで職人さんを恫喝するのです。「この紋々が見えねぇか! 黙って俺の言うとおりに、やりゃあ良いんだよ!」てね。
そんな極道建築家さん、平気ですか? 私ならきっと、海老のように後ろに引いてしまいますね(笑)
刺青は外国ならば文化だと言う人も居ますが、文化で論じるのならば、日本では囚人の証として刺青を入れる文化がありましたよ。今でも反社会的な精神の表れだったりすることは、間違いないと思います。だから公共の場である、サウナやプールに入れない施設が多いのです。それはきっと、一般人が潜在的に「怖い」と感じてしまう、無言の圧力を持っているからです。
刺青のことをTATOOと呼ぶことで、イメージを変える向きもありますが、刺青は刺青。
売春を援助交際と呼び方を変えても、やってることは同じなのと一緒です。
今回の大阪市職員の刺青問題の発端は、刺青者が、その模様を見せて幼い園児を恫喝したことに端を発しています。つまり刺青の正しい使い方をした訳です(笑)
そこからスタートした話なのに、なぜに魔女狩りだとか、個人の自由だとか言う反対意見が出てくるのでしょう? そしてその割には、「小学生に喧嘩を吹っかけて泣かせた中学生」には、矢のような抗議が入るのでしょう? 反社会的な精神という大枠で括れば、どちらも似たようなものでしょうに。
百歩も千歩も譲って、過去に入れた刺青ならば、それを消してから公僕となるのが筋だし、公僕となった後に墨を入れるなんて言語道断だと言う大阪市長の意見は、極めて正論だと思うのです。
親から貰った体に傷を付けるのなら、それこそ、それなりの覚悟でやっている事だと思います。その覚悟の中には、差別されると言うことも踏まえた、覚悟で無ければならないと思います。ヤクザ屋さんが刺青のことを、「根性試し」とか「覚悟」と呼ぶことを聞いたことがありますが、そういう意味なんだと思います。
暴対法は、怖い人たちは、どんなことを言っても怖いですよ。だから自分の町には居ないで欲しいし、出来れば社会全体からも居なくなって欲しいという理念から生まれた法律だと思います。
刺青って、そんな反社会的勢力の人たちの、最も分かりやすいシンボルなんだと思います。
勿論、多分に好き嫌いの感情論は入ってます。
でも自分の娘の肩に、薔薇とかさくらんぼの刺青が入っていたら、間違い無く泣けるし、止められなかったことを、一生悔やむと思います。もし自分の息子の背中に、阿修羅の刺青が入っていたら、死ぬまで殴り続けるかもしれません。でもそれって、親の気持ちからしたら、至極真っ当だと思います。
今の時代、直ぐに「思想・信情の自由」みたいな言葉を口にしますが、それは人様にどんな不快感を与えても良いですよ、という意味ではありませんよね。
刺青を入れても、問題なく続けられる仕事はあります。
でも相応しく無い仕事の方が、圧倒的に多いことも事実です。
公務員の採用試験て、難しいんでしょ? それほど難しい試験を通ってなった公務員の方ならば、大多数の人が納得する真っ当な判断基準を、お持ちだと信じている・・・・・・と言うか、信じたいと思っている訳です。
ふだん、この手の話は書かないように努めているのですが、いろいろと「?マーク」の付く発言が、肩書きの偉い方から聞こえてきて気になったので、つい書いてしまいました。
ちなみに私の二の腕には、BCGの痕があります。
天工舎一級建築事務所
神奈川県小田原市荻窪314正和ビルみなみ302
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コメント
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
コメントありがとうございます。
また覗いてみて下さいね。