明日、提出しようと思っていた住宅の確認申請。
明日、提出すれば今月内に認可が出来る。
全ての照準をそこに合わせ、日曜も休み無く図面を書き続けていたが、明日、提出できなくなった。
勿論、私のせいではない。
仕事だから、そんなこともあるので怒っても仕方ない。
どうすれば最短で申請することができ、認可に漕ぎ着けることが出来るのか? その根回し・・・というか、問い合わせでバタバタした一日。背中が痛い(笑)
ま、成るようにしか成らないので、コツコツ頑張る。
ところで脱法ハウスに端を発した、複数の人間が共に住むという住居の形体に対して、「寄宿舎」同等の基準を遵守する、という一つの回答が提示されたようで、これがまた新たな火種と成っているらしい。火種とは、簡単に言うと「それはヤダ!」ということ。
つまり一軒屋の住宅を改造せず、そのままの部屋の形体で利用した場合のような、比較的に適正? に近い形で利用している「自称、良識あるインチキをしていないシェアハウス派」と、でも呼べば良いだろうか。嫌がっているのは、たぶんそんなシェアハウスの形体を活用されている方々。
なぜ嫌なのか? 答えは簡単。その建物を「寄宿舎」と認識されてしまうと、防火構造の遵守や、火災発生時の避難経路や有効幅の確保と言った問題が生じるが、その基準に適合させるためには費用も掛かるし、土地の確保だって不可能だということ。
「寄宿舎」とは、特殊建築物なので、住宅よりも何倍も技術的な基準や規制が強いのよ。
だから、その基準に当て嵌められてしまうと困る――ということ。よく分かります。
でもよく分かるから、一つ聞きたい。
じゃあ、「良質なシェアハウスとインチキありありの脱法ハウスとの境目は何処ですか?」と。
たぶんそこに明確な線が引けると、「良質な」と呼ぶ、シェアハウスの生き残り策が見えてくるような気がする。でもそこが明確に定まらないと、この議論は「悪質な住環境を取り締まる基準」に、なっていくのは仕方ない話。 だって現実にタコ部屋みたいな部屋は、存在するのだから。
日本には、もともと他人が集って共に住むという住居の形体が無かった。
アパートだろうが長屋だろうが、とにかく一つの所帯で、一軒の家に住む、というのが基本の国。
他人が一緒に住むと言うのは、あくまでも外国の文化なのだから、それを国内に持ち込もうとした時に、新たな規制が生まれるのは当たり前の話。もし「寄宿舎」同等の扱いが不適当だと考えるならば、適当だと思える基準を考えるべきだし、その認知を説くべきだと思う。
でも、「こんな基準でどうだろう?」という問いかけは、見えて来ないし聞こえて来ない。聞こえて来るのは、相変わらずの棺桶みたいな脱法ハウスの摘発記事ばかり。
良識派の方たちは、「性善説」を唱えるのだろうが、その影でインチキ遣り放題の人が居ることだって知っている筈。
都会だけではなく、人口が減少する地方都市においても、空き家の有効利用は大きな課題なのだから、もっといろんな人が、いろんな案を考えるべきかもしれないね。けして、法の抜け道を探るのではない妙案をね。難しいけどね~
さっ、今夜はビール呑んじゃおうっと!
コメント
シェアハウス 今後も違法とされないシェアハウスって??とグルグル悩み中です。
左半身不随による車いす生活になってしまった方からシェアハウスをもちたいと言われ、グループホームじゃ駄目なの?などなど財産を増やし、生活の質の維持向上には何ができるの?とない頭を絞っています。
他にも取扱いに悩ましい住民協定、多分違法ではないけれど明らかに非常識な新築住宅に目を回したりしています。
空き家の有効利用……大きな課題ですね。
「高齢者の良質な住宅の確保」という文章はいくつかの白書で目にしますが、「若年層への良質な住宅の確保」なんて文言、公の文章になってるのかしら?本当はこの部分が大切だと思うのですが。
何だか一年の報告みたいな文になってしまいました。
確かに難しい話ですね。
何が難しいと言って、これが定型だと呼べるモデルが無いからだと思います。
つまり「シェアハウスの明確な定義」が分からないので、ケース・バイ・ケースでしか判断が出来ないという事ではないでしょうか。
過疎化する地方都市において、シェアハウスの建物を提供して、若い人を集める。
そんな考え方もあると思いますが、過疎化している地方都市ならば、空き家は多数あるはず。
無理して一軒に住まなくても良い、と言う考え方もありそうです。
それから安全・安心の確保が出来るか?
今でも地方では、町内会や婦人会と言った地域の繋がりが重要な役割を果たしています。確かに煩わしいので、それに参加しないと言う選択も増えては来ているようですが、それじゃあ隣に建つ一軒家に、見たことも無い人たちが入れ替わり立ち代りすることが、安心に繋がるか? と聞かれれば、正直嫌です。
若年層への良質な住空間の確保は大切ですが、そこには個で住む以上の制約や制限が必要な気もしますが、果たして第三者の管理無しに、どこまで出来るのか?
なかなか難しい問題ですよね。