世界図書・著作権デー

今日は「世界図書・著作権デー」。
読書、出版、著作権の保護を推進しながら、子供たちに本の楽しさに触れ、どんどん本を読んでもらいたいと、1995年にユネスコの総会で制定されたもの。
本を読む人というのは、たぶん「この本を読んで勉強しよう」とか「知識を得てやろう」という感じで読むのではなく、生活の一部として気軽に手に触れている方がほとんどだと思う。それはご飯を食べたり、酒を飲んだりすることと似ている。日常的に本を読む人は、読まないことのほうが不自然で、読むことは生活の一部でしかない。少なくても私はそうだから。
読む本はなんでもいい。
ミステリや建築本は勿論だが、他のジャンルの小説でも図鑑でも、HOW TO本でも構わない。自分が面白そうだなと感じたものは、酒を飲みながら読む。人と待ち合わせている待ち時間に読む。ベッドに入り寝る前にも読めば、電車で移動中にだって読む。本を読む場所とタイミングには、あまりこだわらない。ただ好きだから読む。子供の頃からの習慣だから読む。それだけ。
だから私にとっての読書は趣味ではない。
「趣味は?」と尋ねられた時に、「無趣味」と答えるのが気まずいから、「読書です」と答えているだけで、本当は趣味だとは思っていない。
そんな私の子供時代に、親から本を読めと言われたことは一度もない。「漫画ばかり読んでないで本を読みなさい!」という、おきまりの小言を言われたこともない。ただ家には世界文学全集やら日本文学全集といった、ハードケースに入った仰々しい本の塊はあった。でも小学生時代に三島由紀夫やトルストイに手を出して、2ページぐらいで挫折したので、それらの全集にはその後一度も手を伸ばさなかった。
親が自分の子供に本を読んで欲しいと考えるならば、方法は二つしかない。
一つは、その子が勝手に本を好きになる事を祈ること。好きな子は、誰に何を言われなくても勝手に読むようになる。だからそうなることを期待する。
もう一つは、親自身が本を読み、好きになること。
親が本を読まないのに、子供にだけ子本を読めと言っても、そんな言葉は子どもの心には響かない。親が本を読み、この本は面白いとか、今度はこんな本を読みたいと思っていると楽しそうに語り、家の中に本があることが当たり前ならば、放っておいても子供はそのうち勝手に本に手を伸ばす。それが漫画でもいいし建築の写真集でもよければ、鳥の図鑑だっていい。入口は何でも構わない。そのうち子ども自身が、勝手に考えるようになるから。環境が与える影響とは、そういうもの。
さらに一つ追加すれば、子供を寝かす時に親が本を読み聞かせるのは、結構いいと思っている。たぶん最初は平仮名ばかりの絵本だろうけど、そのうちに『星の王子さま』になってみたり、『モモ』や『はてしない物語』や『龍の住む家』になったりする。ここまでいくと、もう子供を寝かしつけるために読むのか、自分の楽しみで読むのか分からなくなる。ひょっとすると子供が寝た後も、勝手に先を読み続けしまうかもしれない。本を読むというのは、そういう事なんだと思う。
今は本の電子化だって進んでいる時代。タブレット端末の中にある物を、『本』と呼んで良いのかは分からないが、それでも読書への入り口とすれば良いのかもしれない。
本の読み方や内容は様々ですが、世界中の子供たちに、と言う願いを込めて作られた「世界図書・著作権デー」とは、世界中の子供たちが安心して、本を楽しめる平和な時代になることを、祈る日なのかもしれませんね。
神奈川県小田原市荻窪314正和ビルみなみ302

E-mail 
toshio0223@yahoo.co.jp