『赤い右手』 J・T・ロジャーズ著 /読了

多くの人が、本当によく文章を書く時代になった。メール・ブログ・SNSやLINEと言った具合に、私の子供の頃に比べたら、日々の何時如何なる時にも書きまくり、読みまくっていると言っても過言ではない。ではそれほど現代人は昔の人と比べて、文章が上手になったのかと言うと、これが意外とそうでもないと思っている。勿論、私も上手とは言えない、その一人だが。
一般的に、どんなものでも練習を重ねれば上手くなると言われている。ならば文章だって書けば書くほど、上手にならなければおかしいのだが、これが意外とそうでもない。たぶん考えられる理由とすれば、書くことで作業が完結し、読む相手への伝わり方の確認や、校正作業とも言える加筆修正をしていないからではないだろうか。どんなに練習を重ねても、優秀な指導者が居なければ、けして悪しき癖が治らないのと同じことなのだろう。
ところが読み手に意図が伝わり、少しぐらい読み難い文章であっても、それを持ち味や個性と評価される場合もあり、こうなると一概に上手い下手の区別さえ付かなくなってくる。この辺り、日々の仕事でメールを多用する私にとって、とても悩ましい所なのだが、人のメールにケチを付けるわけにもいかないのが正直なところだ。
さて本書『赤い右手』は、98年版「このミス」の海外編で2位の評価を得た作品で、評判の良いミステリ。評判の良いミステリなら楽しみに頁を開くところなのだが、本書の場合は、恐る恐ると言った感じで読み始めた。と言うのも、評価の中で「バカミス」的な扱いを受けていたことを知っていたから。実はこの、バカミスが苦手なのです。
「バカミス」とは「バカバカしいミステリ」、あるいは「そんな馬鹿な!」と、驚愕するほどの作品と、その解釈は様々だが、一般的には、やや斜に構えた感じで「面白かったよ」と言われているような作品だと私は捉えている。
そんな感じなので、それこそ恐々と読み始めたのだが、良い意味で裏切られた。章として区切られておらず、一気に読ませる変な勢いは、まるで映画を見ているようで、スピード感がある。「ん?」と、違和感を覚える場面は幾つもあるのだが、良い意味で文章の読み難さが、読み手の都合の良い解釈を求めていて、結果的にそれがミスリードのようになっている。(私の場合) 本格バリバリと言う傾向ではないし、トリック云々の作品でもない。
ただし、この文章の読み難さが意図して書かれたものだとすれば、それは相当に手の込んだトリックだと言わざるを得ない。是非、違う作品も読んで、比べてみたいと思う。