『新国立競技場、何が問題か』槇文彦・大野秀敏=編集 を読んで

今年、建築界の出来事で大きな話題となった事の一つに「新国立競技場」の建設問題がある。2020年の東京五輪誘致が決まったことを受け、そのメイン会場となる競技場の建設に関する一連の騒動がそれだ。1964年に開かれた東京五輪のメイン会場として建設された神宮外苑の国立競技場を解体し、そこに新たな新国立競技場を建設するという、ある意味で国を挙げた一大プロジェクト。コンペで選ばれたのは、イギリスの建築家ザハ・ハディド氏。だがその計画案に待ったを掛けたのが、建築家の槇文彦氏をはじめとする有識者の方々。喧々諤々の結果、ザハ案は正式に不採用となり、新たにコンペを催した結果、建築家・隈研吾氏と梓設計・大成建設の共同体案が選択されたのは、つい先日のこと。

この一連の出来事に関して、メディアの報道を見ていると、「建設費用が膨大だからザハ案は問題となり、不採用とした」と、いう工事費用だけが注目され、新たに選ばれた隈氏の案は、費用と期間を短縮しているので採用となったように報道されている気がする。だが果たして本当に、そんなことだけが問題だったのだろうか? 本書はザハ案が採用された後、コスト削減のために規模の縮小案を検討していた2014年3月に出版されたものであり、当時、問題として捉えられていた数々の事柄が明確に分かる内容である。だが本書を読んだことで、今度は隈氏の計画案に関する疑問も感じた。なんせ隈氏は当時、槇氏たちと同じ想いを抱き、ザハ案再考に声を上げていた一人だから。

本書では、何に対して異を唱えていたのかが簡潔に理解できる。そしてそれは広義の意味において、建築に携わる方や目指す方には大切な事でもあると思う。建物を考える時に、コスト・コントロールは大切だし、建物の持つボリューム感も大切だ。だがそれは、一にも二にも土地の持つ意味や環境に大きく影響を受け、その意味を理解して、初めて考えられること。計画地周辺の神宮外苑、内苑、表参道、裏参道の持つ意味をあらためて想い返し、その意図を理解した上で国立競技場の存在意義を考え、場合によってはボリュームに対する意見や、あるいは「建てない」という選択肢だって有り得た筈。それを発言できるからこそ建築家の存在意義があり、意味もあると思います。コンペと言う競争設計において、「建てない」という提案が青臭いことは承知していますが、それを建築家が言わないとしたら、一体誰が言うのでしょう。そんなことにまで思いを巡らせてしまう問題が、この国立競技場問題の本質には含まれているし、そう本書から読み取ることが出来ました。

大きく言ってしまえば、日本において建築家の職域や職能が低く見られ、誰でもが「自称建築家」と、なってしまえる今の環境こそが、そもそもの問題点だったのかもしれません。国全体のレベルで都市計画論が正しく議論させていないのに、「国の威信を掛けて!」などと、一部の役人や政治家、あるいは団体の偉いさんたちが、私利私欲だけで物を語った結果が、このドタバタ劇だったと言っても過言ではないでしょう。

もともとこの地は明治天皇の崩御を受け、渋沢栄一氏をはじめとした有力者が、遺徳を偲ぶために明治神宮の創建を唱えた場所です。つまり地域全体が偲びの場であり、その環境整備を願った土地なのです。だからこそ日本で初の「風致地区」という規制が設けられ、共に環境を守ろうと目指したのです。槇氏らがザハ案に反対したのは、そんな場所だという事を知らずに計画をしたことに対しての違和感だったのかもしれません。だとすればそれは、主催者側の無知と無謀さの所以です。

建物を造るという事は、発注者の言う事をただ黙って聞き、どんな無理難題でも、あるいは建築家の良心に背いてでも、「施主のため報酬のため」と、何をしても仕方がないのだと割り切って良い仕事ではありません。そんなことを、あらためて感じさせてくれた読後です。奇しくも明治神宮創建に尽力された渋沢栄一氏の記念財団が発行する機関誌『青淵』、その第764号に駄文を寄稿させていただいたという妙な御縁もあり、氏の御名前を複雑な想いで読ませていただきました。

一年の締めくくりの時期に、とても良い本を読んだと思います。明日から事務所は休みを頂戴しますが、今年一年、駄文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。いろいろな出会いがあり、別れがあった一年ではありますが、総じて良い一年だったと感謝しております。良い人と出会い、良い本とも出会いました。また、そうでない出会いも、過ぎてみればみな良い出会いです。では皆様、どうぞ良い年を御迎え下さい。来年も、どうぞ宜しくお願い致します。

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