ポケットの中のガーゼマスク

古代ローマの浴場は、社交としての娯楽の場所だった。しかし娯楽が高じて、だんだんと不謹慎な享楽的要素が強くなり、不道徳な恥ずべき場所として避けられていくようになる。また湯を沸かす為の燃料の調達も難しく、汚れたお湯をそのまま使い続けることにより、伝染病が蔓延する事態にも陥った。やがて人々は入浴する事を止め、手や顔を桶で洗う程度となり、生涯に一度も入浴しない人までいたという。つまり不潔が美徳な時代だ。しかし体臭を隠すことは出来なかった。そこで生まれのが香水の起源だという。

話しはクルリンパっ!と変わるが、今、マスク不足が叫ばれているが、私の子供時代、マスクと言えばガーゼで出来ており、給食当番の時には着用が義務付けられていた。そのマスクは制服のポケットに無造作に突っ込まれており、給食の配膳時に白衣に着替える際、ポケットからおもむろに取り出して着用していた。そして用が済むとまたポケットに突っ込まれ、下手をすると給食当番の一週間は、ずっとポケットの中が定位置だった。そして給食の無い土曜日に、一週間の役目を果たしたマスクは、洗濯かごに放り込まれる。次の出番は当分ない。洗い終わり、乾かされたガーゼマスクはタンスの中に仕舞われる。次の出番は、たぶん4週間ほど後のこと。

ところが最近のマスクは、基本的にその日のうちにお役御免となる、使い捨ての紙製のものが主流だ。ガーゼマスクを使っている人をあまり見かけることは無い。たぶん給食当番の子供たちだって、紙製の使い捨てマスクなのだろう。で、話を戻すが、マスク不足は悪しき消費文化時代の象徴なのではないだろうか? ならばこの際紙のマスクは止めにして、ガーゼマスクが主流だった時代への復活を目指してはどうだろう。などと私が言わなくても、最近は布製の手作りマスクに注目が集まっているようだが、この際、完全にそちらにシフトしてしまえば、非常時にマスク不足などと言う困ったことにはなら無い筈。なぜなら、必要な時にはタンスから引っ張り出せば良いのだから。医療関係者はそうはいかないと言うかもしれないが、紙のマスクが登場する前だって、上手いこと遣り繰りしていた筈なのだからナントカナル。 

人は賢いので、何かに困った時に慌てずに考えれば、きっと良い解決方法を見付けられる。そして時にはそれが、新しい文化になるかもしれない。まっ、冗談半分で書いているが、残り半分は意外とマジだったりする。ちなみにホラー映画を観ていて、ペストマスクを被った人物が出てくると、それだけで凄く怖いと思ってしまうののは、子供の頃に観た映画のトラウマ。

コメント

  1. ベティ より:

    手作りマスク大賛成です

  2. ベティ より:

    お国からガーゼマスクを一世帯2枚支給とのこと、思わずのけぞりました。「みんなでコロナと闘うために、みんなで愛する人のために手作りしましょう」となんで言ってくれないのかな。今シルクのマスク手作り中です。シルク・マフラーからのリメイクですけど、見た人が「かっこいいなあ、オシャレだなあ。私も作ろう」と思ってくれるといいと思ってます。

  3. マスク二枚を配布と聞いた時には、私も驚きました。誰が考えても首を傾げてしまう対応で、とても国のトップが考えたことではないと思いました。少なくても費用対効果はゼロに近いでしょうから。でも冷静に考え直して、すごーーーく好意的に捉えてもひょっとしたらこれは何かのデモンストレーションなのではないかと思いました。この先、状況がどんどん悪くなったと仮定し、その時にはもっと大切な何かを配給制にすることがあるのかもしれない。その時の練習に、一度マスクを配ってみるか!ってね。
    いや、絶対違うと思いますね。