その言い方はダメだと思います

「友達の〇〇君も持ってるから、ボクにもゲーム機買って!」と、子供がねだると、「人は人、うちはうち。よその家と比べるんじゃありません!」と、ピシャリと跳ね返す親。そんな会話、聞いたことありません?  他人と比較して物を言うことは、褒められたことではありませんと言う戒めですから、この場合は合っていると思います。ですが時々「△△ちゃんは昨日のテストで100点取ったんだから、あなたも頑張りなさい」と、他者と比較して、同じようにしなさいと叱ることがあります。これはダメです。他者と比較しても環境や状況が違うし、そもそも人はすべて違うのですから、比べることに意味が無いのです。自分は自分、人は人。よその家はよその家、我が家はわが家が正しいのです。

東京五輪の開催を目前に控え、多くの人がコロナ禍感染拡大を心配していますが、その心配は杞憂ですという趣旨のつぶやきをしたのが、内閣官房参与の高橋洋一・嘉悦大教授です。高橋さんがtwitterでつぶやいたのは、「日本はこの程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」という内容でした。世界各国の感染者数を比較するグラフを示しながら、世界から見れば日本の感染者数は少ないのだから騒ぐな―という趣旨でしょう。

「日本はさざ波、五輪中止とか笑」内閣参与の投稿に批判

高橋さんのYouTubeを好きで見ている私からしてみれば、なんでそんな軽薄な発信したのだろうと非常に残念な思いです。この発言は長文を意図的に切り取った発言でもなければ、前後の文脈が―なんて話でもありません。短文で発信された意味が全てです。だからその短文から読み取れる意図が全てであり、文末に「笑笑」と加筆していることが、絶望的に全てをダメにしています。

五輪開催を心配する人に対して、「日本のコロナ禍なんて世界から見れば大したことじゃないんだ、大袈裟に考えるな」と、上から言っているように読めてしまいます。でも高橋さんの言う小さな波が原因で亡くなった方が大勢います。また感染して苦しい思いをしている人も居ます。開けたくても開けられず、ジリ貧状態に追い込まれていく御店のオーナーも居れば、仕事を亡くし家を無くした人だって居るでしょう。その人たちに降りかかった災難を「さざ波」と呼び、世界と比べればと片付けてしまうことは、あまりにも冷たくないですか。五輪開催に心配ないと言いたいのなら、もう少し違う言い方がいくらでも出来た筈です。

どこの誰かも分からないオジサンが便所の落書きよろしくつぶやいたのなら、仕方ないし気にもしません。でも高橋さんは内閣官房参与という要職に就き、嘉悦大教授と立場で学生に経済を教える立場の方です。その分を弁えて欲しかったです。

文法から言えば、「笑笑」は、五輪開催に対して心配するなという書かれていない主語に掛かっているのであって、コロナ禍の感染者あるいは経済的にダメージを受けた人に掛かっているわけでは無いことぐらいは分かります。ですがそれは好意的に読めば―と言う話です。でもtwitterって、一文で考えてることを発信するための道具ですよね。つまりその一文だけを見て、意図を解釈されてしまう道具なのです。「嫌なら読むな」と言われそうですが、内閣官房参与という公人の立場では、そうは言えないでしょう。

私も親戚や友人に医療従事者が居ます。かなり大変な状況が続き、こちらから話しかけることさえ憚られる状況の時もありました。そんな光景を見ていたからこそ、世界にはもっと苦しんでいる人が居るのだから、お前の苦しさなんか大したことじゃないんだ 笑笑 と、言われたら、やっぱり悲しいです。苦しさを人と比較しても、何の解決にもなりません。自分の苦しさは自分の世界でしか測れませんし、人と比べたからって和らぐものではありません。

このtweetを見て、こんな時期だからこそ普段の時以上に穏やかで、心にゆとりを持ち、出来ればいつもよりほんの少しだけ優しく、良い人になって人と接しよう、言葉を選ぼうと思いました。毒は誰も見ていない場所で、誰にも聞かれることなく、そっと吐くことにします。