人は時々、「あの人は表と裏の二面性を持っている」なんて言いますが、私はこの考え方と少し違う考え方を持っています。二面性と言うと面と面が背中合わせとなり、例えて言えばレコードのA面とB面に全く別の曲が録音されているかのような印象を受けます。(レコードが分からなかったらゴメンナサイ) でも人はそんなに極端に変わるものではなく、A面とB面の間が緩やかに繋がっていて、その繋がりは無限で、気が付けば円柱のような形になり、やがて繋がりは上下方向にも広がり、きっと球形のような形をしている物だと思っているからです。つまり良い人と悪い人の間には、無数の少し良い人とか、もう少し悪い人といった面が幾重にも繋がって出来ていると思っています。
普段はとても穏やかな話し方をして、周囲の人にもウケの良い人が居たとします。でもそれはその人のただの一面。ひとたび自分の気に入らないことがあれば職場でパワハラ同然の態度を取り、取引先の顧客にも恫喝すれすれの言葉使いで話し、自分の利になることだけは積極的に動くが、そうでないと判断すれば挨拶すらしなくなる。そんな人物は「二面性を持っている」のではなく、それこそがその人の本質だと思うわけです。ふだん見せている姿も本当なら、ヤバい側の一面も本物だということ。菅田将暉主演の映画「キャラクター」は、人の本質とは何かを考えさせられる、そんな映画でした。
主人公は圧倒的な画力を持ちながらも、悪役キャラクターを描くことが出来ずに、デビューできない漫画家のアシスタント。そのアシスタントが幸福を絵に描いたようなとある家の中で、その家の家族四人が無残な姿で殺されている現場の第一発見者となってしまいます。主人公は現場から立ち去る犯人の姿を目撃してしまいますが警察には告げず、犯人をモデルにした漫画を執筆し、一躍話題の人気漫画家にのし上がります。そして漫画に描かれた通りに第二の殺人が起こり、警察は漫画家に疑惑の目を向けるのですが、本当の恐怖はここから始まるのです―。
狂気の犯人役をFukaseが演じるのですが、芝居のたどたどしさが、演技なのかそうでないのか分かりませんが、そこがまた良い具合に狂気を醸し出すことに一役買っています。あれが全て計算された演技なら、この人役者に向いてます。けして鑑賞後に爽快感を得られる種類の映画ではありませんが、「映画観たわー」という感覚は残る作品でした。コロナ禍で劇場もまだまだ大変な状況が続いていますが、今は観たい作品が目白押しなので、また近々観に行きたいと思っています。