6月17日赤坂文教堂店が閉店されました。赤坂駅の傍で唯一の書店だったこともあり、大勢の方に利用されていたようですが、ビルの建て替えに伴い27年の歴史に幕を閉じたそうです。ニュースを読みながら、そういえば自分の住む街の書店も、本当に少なくなったことに気が付きました。いまある書店で思い出せるのは駅ビルの中や、郊外のショッピング・センターの中に入っている書店だけです。たしかに本はネットで買うことが増えましたが、だからと言って街の書店が無くなっても良いとは思っていません。
数十年も昔、近所の書店に夕飯を食べた後に出掛けることが、楽しみだった時代がありました。その頃、少ない小遣いを握りしめて買いに行った本の中には、いろいろなジャンルの物がありました。月刊誌の天文ガイドを手に取った日から、星を眺めることが好きになり、映画雑誌のロードショウやスクリーンの中に入っていた大型ポスターを部屋の壁に貼っていました。月刊誌SNOOPYは日本語と英語で台詞が書かれていて、読むだけで勉強になりました。勿論、早川書房のポケミスを知ったのも、この頃。ポケミスのコーナーは、そこだけ異次元の大人の世界で、ワクワクした記憶があります。
本屋でたまに会う同級生の子と好きな本の話をしたり、あの本が面白いよなんて他愛もない話をしたりすることが、とても楽しかったです。本屋さんて、一人で居ることがとても楽な場所で、本と向き合っていればそれで何時間でも過ごすことが出来ました。知らない物と偶然に出会ったり、知っていると思っていた世界が、本当は全く違うものだと教えてくれました。でもそれと同じぐらい、自分の好きな本の話や、誰かの好きな本の話を聞くことがとても嬉しい。本屋さんに一緒に行ける人が居るって、とても楽しいことも知りました。今あらためて思い出すと、私の思春期は本屋さんで作られていたのかもしれませんね。
今はネットショップで購入すれば、翌日には本が届く時代になりましたが、便利になった分だけ出会いやときめきやワクワクが無くなりました。「町に本屋は必要か?」と聞かれたら、やっぱり必要だと思います。あなたはどうでしょう、街に本屋は必要ですか、それとも……。
コメント
本と本屋さんは少女時代から、日常的にいつもそこにありました。小学校時代はいちいち「本買いたいからお金ちょうだい」と私が言うのがめんどくさかったのか、親がある本屋を私がツケで買える店にしてくれました。
友人との待ち合わせは本屋です。相手が遅れても構わないし。同じ作家の他の本を見てみたり、早めに行って色々なジャンルの本を眺めます。その空間にいること自体が好きです。本屋さんの本の並べ方のコンセプトもあって、本屋は大人の遊び場だと思います。私にとっては本屋さんが町から消えてしまうと、町にくる意味がなくなりますね。
本屋さんでツケで買えるとは、御両親様の御対応は凄いですね。私もそんな親が欲しかったです(笑) 仕事柄、人様の家にお邪魔する機会は多い方ですが、その時にはやはり本の有無に目が行ってしまいますね。本棚があると蔵書を見てしまいます。また全く本が置かれていない家に伺うと、なんだか落ち着かない気分になります。「本はお読みにならないのですか?」と、尋ねたくなりますが、そこはグッとこらえています。
街から本屋が減り、コンビニが増えました。コンビニにも確かに本は置かれていますが、本を探しにコンビニに行くことはありません。紙とインクの匂いを感じられなくなるのは、寂しいばかりです。