終の棲家を建てるため、まずは土地探しから協力して欲しいと依頼をいただいた。それから約2年半、知り合いの不動産会社や建設会社に情報を求め、時には現地を見に行き、またある時は役所を廻り法規制を調べたりもした。だが依頼者が求める100点満点の土地とは、なかなか出会えずに時間ばかりが過ぎていった。折しも時期はコロナ禍の感染が拡大している真っ最中、都会からの移住希望者が増え、小田原近郊はプチ・バブル状態。依頼者が捻出できる土地の購入予算がもともと多くは無かったため、土地探しは難航した。
そんなある日、依頼者が自分で探したと言う土地を、一緒に見て欲しいと連絡が来た。土地を探していた地域も予算も全然違う条件の土地だったが、依頼者が納得するのなら、それも有りなのだろうと思った。依頼者はその土地を購入することに決めた。私に探して欲しいと言っていた希望額よりも、1000万円以上も高い土地だった。
そしていよいよ建物計画を始める頃、電話をいただいた。「土地が高くて予算が足りなくなったのでローコストHMに依頼する、だから設計依頼はしない」とのこと。今までお世話になりましたでも無ければ、ゴメンナサイでも無く、他で頼むからの一言を電話で告げられて終了した。これまでの2年半は何だったのかと思ったが、ま、こんなことはよくある話と諦めるしかない、引き摺っていても良いことは無いと切り替える。
それから暫くしたある日、その依頼者が購入した土地からほど近い場所で、土地の形も良く面積も広い土地が、1000万円ほど安い価格で売られているのを見付けた。あの依頼者が探していた希望の金額で、希望の広さの土地だった。こういうのって、本当につくづく「縁」なんだなって実感した。
全ての家に携われるわけではないし、話をして計画案を作成しても、それが必ずしも私とご縁があるわけでもない。過去には私が書いた計画案を地元の工務店に持ち込んで、そのままの形で建てた方も知っている。別に著作権が! 等と喚くつもりも毛頭ないが、そういう生き方をしている人って、一事が万事、全てがそんな調子で生きていくんだろうな、とは思ってしまう。
縁 えん とても大事だけど、見えないものは相変わらず大切にされない風潮、まだまだたくさんあることを実感する。さっ、新しい計画に向けて頑張ろう! っと。