昔の本を改訂し再版されると、けっこう嬉しい時があります。絶版でもう読めない、あるいは存在していてもコレクター品になっていて、高価で手が出せないなんてこともあります。また洋書などの場合には、翻訳家が変わるだけで作品の雰囲気が変わり、一度読んだ作品でも、まるで初めて読むような気分で読むことさえあります。ま、私の場合、すべてミステリ作品に限っての話ですが。で、気になった話題がコレ、クリスティ作品に関して。
アガサ・クリスティーの探偵小説を改訂、不快な可能性のある表現削除
時代に合わせた表現に改定あるいは削除となると、本来の作品の良さ・雰囲気が無くなりはしないか気になるところです。その作品が書かれた時代だからこそ描けた風景や情感、そしてトリックさえもあるでしょう。それらを時代だから、風潮だからと言って、すべてをバッサリ削ぎ落とすことに何の意味があるのでしょうか。そんなことをするのなら再版する意味など無いと思います。
本当に読みたい読者にとっては、その削り取られた部分こそが、作品世界にとっては大切かもしれないからです。初見の方にとっては削ぎ落とされた作品が完全体なのかもしれませんが、再読の読者にとっては興を削がれることこの上ないと思います。
ロアルド・ダールの作品なんて、ほとんど赤入れないとダメなんじゃないですか?と、思います。「チャーリーとチョコレート工場」しかり、最近では「魔女がいっぱい」と、映画化された作品もありますが、もともと子供向けに書かれた作品には刺激的な言葉が数多く並びますが、だからこそ面白いのです。そこを削除すると作品として楽しくなくなるのではないでしょうかね。こうした時流に合わせることが大切だという主張一辺倒だと、「ノックスの十戒」の5番目は、もう絶対に発することが出来なくなりますね。
古典はその作品が書かれた時代背景も含めて、成立している文学だと思います。今の時代に合わないと言って削除するなら、改訂版など不要だと思いますけどね……。