某HMの土台を敷く光景

とあるハウスメーカーが、土台を敷く作業を行っているのを見かけた。高校生かと見間違えるほど若い二人が、手前側と奥側の別々の場所で土台を敷いていた。土台を敷くことは文字通り「家の土台を作る作業」で、基礎に設置されているアンカー・ボルトを痛めたりしないように気を付けながら、丁寧に敷いていく慎重な作業が求められる。だけど土台の材料は、想像している以上に重たい。長さによっては二人で運び、慎重にアンカーボルトを通しながら設置しなければならない作業だ。

だがその作業員は、それぞれが少しふら付きながら一人で運んでは敷いていた。最初は力持ちだなと感心しながら見ていたのだが、どうやらそうでも無いようで、重たかったのか土台を放り投げてみたり、継ぎ手が上手く入らなかったのか、土台の上に乗り踏みつけるように、乱暴に見える感じで作業をしていた。

継ぎ手を上手に嵌めていくことは、大変な作業だと知っている。継ぎ手とは短い土台材を繋ぎ合わせるため、それぞれに凸と凹の加工を施し、それをはめ込むことで一本の長い土台にする加工のこと。その繋目が緩くてもダメだし、きつ過ぎてもダメ。でも今は工場で加工するので、そんなに変な加工になることは滅多にない。それでも水平に丁寧に落とし込むように嵌めなければ、合うものだって合わないのは、継ぎ手だけではなく、ペットボトルの蓋を閉める時だって同じこと。たぶんその継ぎ手が上手く入らずに、踏み付けて入れていたのかもしれない。

暑い日だったし、材料は重いし、大変な作業だということは分かる。どんなに乱暴に扱ったとしても、その後の上棟作業で家が傾くようなことが無ければ、なにをしても文句を言われる筋合いはないのかもしれない。ただ、なんとなく嫌な気持ちになったことはたしか。

あれが自分の家だとしたら―と、考えたら不快な気持ちになったのです。建築主はその家を建てるために家族で何度も話し合い、土地を探し、資金をかき集め、ローンを何十年も組み、あれこれと間取りに悩んだ末にようやく建ている筈。それがあんなふうに材料を放り投げ、上手く入らなければ何度も何度も踏みつけられていたら、やっぱり悲しいのよ、たとえそれが他人の家であっても。

そんな扱われ方は当たり前の話で、どこのハウスメーカーでも、どこの工務店に依頼しても「みんなこんなもんですよ」と、当然のように言われたら、やっぱり嫌だ。誰も見ていない。監督も居な良ければ、建築主が見ているわけでもない。見ていなければ何をしても、やっていないのと同じことなのかもしれない。なんだか凄く残念な気持ちになり、不快な物を見せつけられた気がして、嫌だったという愚痴です。