身の丈を理解する大切さ

人に身長を聞かれると「1m83cm」と、答えているが、歳を取って身長も縮んでいるし、実際のところはよく分からない。でも身長に鯖を読む程度のことは誰にも迷惑を掛けないし、自分も困ることは無い。ひょっとしたら「そんなに無いだろう」と、思われているかもしれないが、そうだとしても大勢に影響はない。ところが家を建てることに対して、鯖を読むととんでもなく面倒なことに成るので、これは止めた方が良い。

例えばスケジュールに関して鯖を読むこと。いついつまでに家を建てたいとか、融資に関係する大切な期日があっても、そのことを正しく伝えず大雑把な物言いで作業を進め、後で分かって騒動になったりする。工事期間に関しても同じ。クライアントの無理な要望に「なんとかします」と、どう考えても無茶な作業日程を承諾し、あとで「やっぱり無理でした」と、なり騒動になる。悪気はないのだろうが、正しく伝えることは相手に対する誠意であり、信義に則った契約の延長上にある行為の筈。

スケジュールの話より、もっと悪いのが「お金」の話。自分の予算がいくらであるかを正しく伝えることなく、財布の中身を膨らませて話し、その上で建物に対する希望・要望を彼是と伝えて話を進めていく。「本当に大丈夫ですね」と、何度も念を押しながら図面を描き、積算をして、出てきた見積もり金額を見て「こんな予算はありません」と、言い出す始末。

いやいやいや、最初に聞きましたよね、ご予算はいくらですか?と。その時に口籠り、ハッキリ言われなかったので「今は坪単価にしてこれぐらいの費用は最低限掛かりますよ」と、何度もお伝えもしましたよね。「その他にも彼是と経費が必要になりますから、少し抑えめの建物計画をして、予算が余るようだったら足し算するぐらいのつもりで行きませんか」と、伝えましたよね。それを承知の上であれも足して、これも足して、ああもしたい、こうもしたいと希望され、その都度ブレーキを踏みましたが、その度に大丈夫ですからと言われ、結果的にクライアントが言うとおりにまとめた計画案。

設計者から見ても無駄が多いし贅肉もあるなと思いつつも、どうしてもそれが良いと「施主のごり押し」で決定した計画案。で、見積りを依頼したら、やっぱり予算オーバーでした、だからなんとかして下さいは、さすがに無理があります。

一生に一度、家を建てるのだからと、希望のすべてを彼是と詰め込もうとする気持ちは、分からないわけではありませんが、設計者も建設会社も魔法使いでは無いので、どんな無理難題な希望でも最後には必ず適えてくれる、なんて上手い話はありません。

家を建てるということは、家を建てるという【事業】を行うということ。その場合の最終的な責任者は事業主であり、決済権者であるクライアント自身です。その上で設計の専門家である設計者の意見を聞き、工事の専門家である建設会社のアドバイスに耳を傾け、総合的な判断を下して事業を進めていく責任は、すべて事業主であるクライアントが担っています。それほど責任の重い事業主が身の丈を弁えず、無理をしたり背伸びをすることで、事業計画全体に不利益を与えてはいけません。

「身の丈」の意味を調べると、身長の他に「無理をせず、力相応に対処すること。分相応」と書かれています。クライアントが共に事業を成す設計者・施工者に対して真摯であるということは、見栄を張らず、正確な情報を共有し、身の丈に合った事業計画を推進していくことだと思います。

一昔前の話ですが、設計事務所に家の設計を依頼する建築主に対して、残高証明の提出を求めたり、金融機関からの融資の予約や見込みを伺い、場合によっては金融機関に問い合わせたりした時代がありました。つまり建設費用の裏付けが確認できない相談者に対しては、設計の依頼を受けないと言うことでした。今では考えられないことですが、ある意味では家を建てることに、関係者全員が真剣に向き合っていたことの証と言えなくもありません。家を建てるということは、紛れもなく「一生に一度の一大事」だったのです。

今では工事に関するすべての費用を融資で賄い、自己資金0の人でも「アパートの家賃より安いローンで家が持てます」なんていう宣伝文句に釣られて、家を建てようとする時代ですが、悪いことは言わないので、そんな方は考え直されることをお薦めします。そういう方に限って、あれも欲しいこれも欲しいと希望して、結果的に予算が合わずに計画が破綻するか、いっとき無理をして成立させることが出来ても、遠くない将来に必ず何処かに綻びが出てきます。

今はネットで高級なブランド・スーツを買える時代ですが、仕立て屋さんで設えたスーツに腕を通すと、やはり既製品とは違う着心地の良さを実感します。それが高価なブランド・スーツでなくてもです。身の丈に合わせて設えるとは、そういうことだと思います。身の丈、あらためてそれを知り、そこから無理をせず、動いていくことの大切さを考える2023年の年の瀬です。

コメント

  1. ベティ より:

    昔の人はいいことを言っていますね。「身の丈を知る」、「分相応」、この建築設計の話を考えると「無い袖は振れぬ」でしょうか。
    「背伸び」をするのも身の丈をわきまえないからですし、近年日本に起こるとんでもない事件(政治家も含め)や揺れ動く世界情勢も、まさにそれなのだなあと年末に考えました。

  2. 少ない予算で家を建てることが、悪いと言っているわけではありません。限られた予算なのに、その額に見合わない高望みをした家を目指すことが間違っていますよ―という話です。稀に「ローコスト住宅」の意味を理解されていない方がいますが、ローコストとは建設資金の総額が少ないと言う意味ではなく、建物全体費用が一般的な価格に比べて安価に抑えられているという意味です。例えて言うなら、「建設費用が1億円の家」であっても、本当なら「2億円は掛かるであろう家を1億円で建てた家」ならば、その家はローコスト住宅だと言うことです。
    極論になりますが、「100坪の邸宅」に住んでいても満足しない人も居れば、「4畳半一間の家」でも幸せに過ごす人も居ます。だから建築家はクライアントに尋ねるのです「あなたの望むものは何ですか?」と。
    昔の日本では「謙虚さは美徳」でしたが、今は欧米的に捉え、その考え方は理解されないのかもしれませんね。