0から1を生み出すことは、とてつもなく大変な作業だと知っています。1を2にすることも大変なことですが、それは0から1を生み出すことに比べれば、比較的容易ではないかと思っています。勿論、そのなかにも大変さはあるし、難しい事だってたくさんあることは承知の上ですが、それでもやはり0から1を生み出すことの方が難しいと思っています。まして0から2までに昇華させる必要があれば、しかもそれを他者と協力し合って行う際には、両者の考え方を尊重しなければなりません。なかでも、なぜ1が生まれたかの意味を共有することが大切で、その理解が足りなければ、0から1に、1から2にはならないと思います。某漫画家さんが原作の作品をドラマ化し、その制作過程で何かのトラブルがあり、結果的に原作者の漫画家さんがお亡くなりになるという報道を見て、そんなことを思いました。
実は少し前に、知り合いの建築家と同じような話をしたばかりだったので、凄く考えてしまいました。設計者が依頼を受け、考えた挙句に計画案を提示します。提示したものは、数枚の図面でしかありませんが、そこには様々な構想や工夫や想いが込められています。それらを出来る限り詳しく説明し、理解して貰おうと努力します。で、提案を受けた依頼者はその場では良いですねと感嘆するが、一度持ち帰り、次の打ち合わせの際には、その計画案のコンセプトが跡形もなく消えた形で、「ここをこんなふうに変更できないですか」と、伝えてくる。例えて言えば、丸い物を提案したら、「良いですね」と言いながら「でも三角にしてください」と言う具合に。なぜ三角なのですか?と、尋ねると、「なんとなくそっちの方がカッコいいかと思って……」といった非常に抽象的で曖昧な理由で、全てを無かったかのようにしようとする。
そんな経験ない? あるある! みたいな感じで話していたのです。で、その時の結論は、そういうことを言う依頼者は、たぶんその建築家でなくても良いんだと思う。極端に言えば建築家なんて誰でも良くて、状況が違えばHMでも良いんだけど、なんとなく建築家に設計して貰ったと言った方が、なんかこだわりを持っている奴みたいじゃん!的なノリなのでは? なんて感じでした。凄く乱暴な言い方だけど、当たらずとも遠からずだと思っています。
自分の経験でも、計画案を何度も何度も繰り返し書き直しを要求する方に限って、私のことをよく知らない方が多かったからです。勿論、最初の出会いは偶然でも構わないと思います。でも計画案を依頼する、あるいは設計の相談をしようと思ったら、少しは相手のことを知りたいと思いませんか? どんな考え方をしているのか、過去にはどんな建物を設計していたのか、その際の過程やこだわりや、家に対してどんな想いを持っているのかを。私なら知りたいです。でもそんなリサーチもせずに、なんとなく0から1を作ってと依頼し、提示した1を、いきなりBに変更して下さいというような、突飛な思考のジャンプは私は付いて行くことが難しいです。
設計提案としての1がダメで気に入らない場合は設計者の考え方や捉え方が違ったということなので、それはこちら側の失敗です。設計者の能力が、あるいは相性が合わなくてゴメンナサイと言うことに成るのですが、ここで言っているのはそうではなく、諸々を受け入れた上での否定は、結果的に一番大切なコンセプトの部分を理解せず、その本質を受け入れていないことにあるという話。
大切なことは丸い形であることではなく、なぜ丸い形にしたのかいう考え方と、そこからどんな生活を想像して提案したのかです。原作者が想い描いた物って、そんなに軽薄な物ではないと思います。今でもたくさんの漫画本を購入している身としては、辛いニュースでした。