飛騨高山から白川郷へ

少し前の話。仕事の合間を縫って、飛騨高山経由で白川郷まで行って来ました。1泊2日のバスツアーだったので、自分が運転する事が無く気楽で快適でした。行きは圏央道で八王子まで行き、中央道に乗り換えて諏訪湖を目指します。

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諏訪湖のSAでランチを取り、しばし休憩。はるか向こうには日本アルプスが見えています。数日前の大雪が嘘のようで、快晴で良かった! と、思ったのもここまで……。快晴の諏訪湖から安曇野、坂巻を通り越した辺りから吹雪。

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山頂は真っ白でした。でも自分が運転していないこともあり、「きれいだな~~~」と、雪景色を楽しんでいました。山から下りたら雪も止んでいました。

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飛騨高山には高校の修学旅行で来たことがありましたが、当時の記憶は全くなく、凄く新鮮でした。人気の観光スポットでもある古い町並みの「上三之町」も歩きましたが、そこでは地酒の飲んだり、肉寿司を食べたり、ビールを飲んだり、団子を食べたり。若い観光客の方が多かったような気がします。一応お勉強もしたいので「まちの博物館」に立ち寄り、城下町の歴史や伝統文化(とくに高山祭)の御勉強もしてきました。

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町なかに設置されている消火栓ボックスやホースの収納箱。古い木造の街並みを保存している地域では、こうした施設は欠かせませんし、万が一火事でも起きてしまったら、文化伝統だけではなく観光資源さえも失ってしまうことになるので、それはそれは怖いのです。歩き煙草なんて以ての外。岡山県倉敷の美観地区に行った時も、こうした街並みに溶け込ませるように配慮した消化施設は、各所に設けられていました。

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夜は高山の「飛騨の里」見学。ここも雪が凄かったです。目の前の五阿弥池は完全に凍っていました。なぜここに行ったかと言うと、白川郷の建物をライトアップしている光景は見られないことが分かっていたからです。でもそれはそれとして、こちらの旧西岡家の住宅も、とても見応えがありました。(写真中央の建物)

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玄関に間取り図がありました。昔は馬や牛がとても大切だったため、家の中で家族と共に暮らしていました。それが「まや」と書かれた「馬屋」です。見学用に原寸大の牛の模型が飾られていました。その左側には「べんじゃ」と書かれた「トイレ」があります。地面に大きな穴を掘り、その穴に二枚の板を渡し、その二枚の板を踏む形で用を足します。万が一足を滑らせて落ちたら、それは大変なことに成るほどの広さと深さがあります。雪深い飛騨では、外で用を足すことなど不可能だったのでしょう。

ちなみに私のすぐ後ろを歩く女子三人が、「べんじゃ」を見て、「すごーい、こんな大きな井戸があるー! これなら水飲み放題だね! キャハハハ」と、盛り上がっていました。「飲めるものなら飲んでみろ」と心の中で、ツッコんだのは勿論のこと。こういう場所に来たら案内板や展示されている図面は、よく見るべきです。その間取り図から読み取れる、昔の暮らしぶりがあるからです。

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室内をゆっくり見学していると雪も止み、それはそれは良い感じの光景になりました。障子一枚の暖ですが、これはこれでかなりの暖かさを確保してくれます。障子紙と細い桟で組まれた障子ですが、ぜんぜん馬鹿に出来ない性能の高さは昔も今も同じなのです。翌日は東海北陸自動車道を通り白川郷へ向かいます。

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雪は残っていましたが、それほど寒くもなく良い感じ。外国人観光客が多いな~と思っていたのですが、この数日後に外国人観光客が大挙して押し寄せる光景をTVで観ました。重ならなくて本当に良かったです。

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白川郷は観光地ですが、観光資源の合掌造りの建物は、今でも普通の人が暮らす普通の家です、つまり民家だということ。だから何処でも勝手に覗いていいわけではありませんし、勝手に入り込むことなど許されません。建物が建っていない空き地にも「私有地なので立ち入り禁止」の札が掲げられていますが、雪が珍しい外国の観光客の一部の方は、その中にズカズカと入り込み、傍若無人に振舞っている光景を見掛けました。本当になんとかならんもんかと、ここに住んでは居ない私でさえも思ったのですから、住まれている方にとっては、苦々しい光景なのかもしれませんね。

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放水銃の格納庫を発見! 火が大敵なのは古い建物を守る地域での鉄則です。

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屋根の萱は40年程度の周期で、葺き替えが必要です。その費用は数百万円で、高級なワンボックスカーが買える額。昔は「結 ゆい」と呼ばれる町中の人が総出で葺き替えを手伝いました。お互い様の精神だったのですね。今でも「結」の文化は残っているようですが、それでも費用の負担は大きいですね。

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建物を「〇✖ハウスに建て替える」なんてわけにはいきません。この形、この暮らしぶりを守らなければならないからです。

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アルミサッシでも無ければ、ガスの入った断熱ガラスでもありません。分厚い断熱材が入っているわけでもなければ、床暖房で快適なわけでもないのです。それでも今どきの家にはリフォームできない。けして羨むべき住環境では無いのかもしれませんが、でもなぜか暖かかったような気もします。なんだか不思議な空間なのです。

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障子一枚の隔たり。昔だったら天国と地獄、あるいは生と死を分ける障子一枚だったのかもしれません。20240222.15.jpg

写真が少しモヤっとしているのは、1階の囲炉裏の煙で燻されているからです。ここは明善寺という御寺と繋がっている住居の二階。昔使われていた生活器具や、養蚕の道具などが飾られていました。ここに居たのは30分足らずでしたが、すっかり身体中に燻された匂いが付いていました。でもそれも貴重な経験です。

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白川郷は人里離れた山の中の集落でした。だからこそ独自の文化や暮らしが形作られ、今にそのまま残っているのでしょう。観に行って良かった街並みと歴史・文化でした。弱い気分転換が出来ました。

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