最近、高級ホテルのレストランや飲食店、あるいは老舗デパートのレストランや惣菜が、相次いで食品偽装? 偽装という言葉が悪ければ、誤表示があったと釈明会見を開いている。
伊勢海老と表示してましたけど、実はロブスターでした。
ちょっと間違えちゃいましたけど、悪気はありませんからゴメンネ!
みたいな感じで釈明しているけど、なんだかなぁ・・・・・と、違和感を覚える。
インチキをしていたのが、どこも格式や伝統を備え、一流と呼ばれる店や場所だったから、余計、モヤッとするのだろう。
それに会見をしている人たちが一様に、どこと無く他人事のように話しているのも違和感の原因かもしれない。でも、本当にそんなに軽い話なのかなぁ~? もし提供する側への信頼を無くしてしまうと、もう何も信用できなくなってしわない? それって危険だと思うんですよ。
例えばこれを、建築に置き換えてみましょうか。
「うちは国産杉、それも秋田杉だけで家を造ることが自慢です。国内で大切に育てられた材木で、貴方の大切な家族を、化学物質などから守る家を造ります!」
なんてキャッチコピーの建設会社が、実は集成材や輸入材で造っていたとしたら、依頼者である施主は怒らないか? いやきっと激怒するだろうし、たぶん裁判沙汰だよね。金額の大小も勿論あるけど、それ以前に信頼を裏切られたことへの憤りが大きいから。
それじゃあ高級レストランなら良いのか?
例えば、なにか特別な記念日に、一生に一度のことと奮発した高級ホテルのレストラン。
今までに見たことも食べたこともないような食事が並び、それを美味しい美味しいと食べる大切な人の笑顔。その顔を見ることで得られる、なによりの幸福感。
だが後日知る事になる。
あの時に「美味しい美味しい」と喜んで食べた伊勢海老が、実はただのロブスターだったことを。
ボーナスを叩いて奮発した、大切な家族や恋人との贅沢な一時が、実は全部偽者だったことを。
そして、「ただの誤表示でした。でもそれなりに美味しかったでしょ?」と、開き直る店の正体を。
と、まで言ったら言い過ぎかい?
でもさぁ、提供する側の意識って、本当はそこまで考えて欲しいと思うわけですよ。
たとえ一杯350円の牛丼でも、それを「美味しい」と食べる人にとっては、掛け替えの無い一杯なのだから。そういう気持ち、大事だと思うのですよねぇ~。