鹿児島県南九州市知覧町にある「知覧特攻平和会館」。ここは第二次世界大戦末期に沖縄戦で特攻という史上類を見ない攻撃を敢行した、若き兵士たちの遺影や遺書、関連資料が展示されている施設です。けして戦争や特攻攻撃を賛美する為ではなく、歴史のはざまで犠牲となり命を賭して戦った方たちが、本当は普通の青年であり、父であり、子であり、兄であり、弟であったという記録を展示している場所。自分が生きている間に、一度は訪れたいと思っていた場所に、短い時間ではありましたが訪ねて来ました。
私が行った日には近くの中学生らしい集団が見学していました。また防衛大の学生かと思われる制服姿の方も、多数見学されていました。他にも外国の方も多かったです。館内は撮影禁止なので館内の写真はありません。
唯一、撮影が許されている当時の機体の写真です。機体は零式戦闘機、通称ゼロ戦。館内ではタブレット端末と音声ガイドを聴くことが出来るイヤホンの貸し出しがあり、私もそれを借りて館内の展示を見学していました。
展示されている遺影と遺書を、父として、子として、あるいは親としてと、どの立場に立って読んでも胸の詰まる思いがします。同じタイミンクで入館した一人の若い女性が、ずっと涙していたのが印象的でした。
特攻隊員の出身地が都道府県別の表にされていましたが、一番多かったのは東京でしたが、知覧のある鹿児島県が4番目に多かったことにも、何か複雑なものを感じました。
施設の外に展示されている練習機の実機です。
映画撮影のために再現された零式型戦闘機が寄贈され、展示されています。
子供の頃、プラモデルを作ることが好きでした。なかでも日本の戦闘機は、たくさん作りました。ゼロ戦をはじめ、隼や飛燕、疾風、紫電改、雷電、他にもたくさん作りました。今のようにスプレーガンなどは無かった時代なので、筆でペタペタと色を塗っていました。当時何も考えず、プラモデルの箱の絵の色を真似て色を塗っていましたが、色の白い機体と緑色の機体があることにも、何の違和感もなく色を塗っていました。
大人になり、機体の色の違いは戦局の優劣、つまり制空権を取れていた優勢の時期は白、戦局が劣勢となった終戦間際の機体は緑色をしていたことを知りました。
今の時代が何の犠牲も無く天から降りて来た、当然で当り前の平和ではなく、大勢の犠牲の上に築かれている時代だということを思い返す、尊い貴重な時間でした。
本日、二月二十三日は天皇誕生日です。そして私の誕生日でもあります。