情報番組で「やらせ・捏造」があったと言うことで、連日大騒ぎが続いている。が、それを報道しているのも、またTV。「やらせ」が蔓延するメディアを、同じメディアが叩く様は、自分の足を貪り食う蛸に似ているとも言える。
バラエティーやお笑い番組では、その中身に「正しい」も「嘘」も無い。でもニュースやドキュメンタリー、あるいは情報番組と称する放送には、常に「この内容は正しいです」と言う前提が、見る側にも流す側にも有る。
でもそんな前提は、一体何時からあったのだろう。戦争中は、情報操作なんて当たり前だったでしょ?なんで今は無いと、盲目的に信じられるのだろう。
ひょっとするとTVと言う「ただの箱」」が、家庭の中心に君臨し、「仏壇」や「神棚」に取って代わった頃から、家庭の中で絶対的な地位を確立したのかもしれない。だから、そこからの情報は、全て正しいと盲目的に信じるようになったのではないか。
ダイエット情報には興味ありありの私だけれど、たとえ騙されたとしても、後で「騙されちゃった!ワハハ!」と、笑える程度の自己責任と余裕は持っている。それに、TVで垂れ流される情報が、全て正しいなんて、これっぽっちも思ってはいない。
この機会にTVと言う物を、家の中心から少しだけ、外してみてはどうだろうか?そうすれば、きっと見えなかった何かが、見えてくるかもしれない。それはTVと言う情報への盲目的な信奉から覚める瞬間かもしれないし、家族のあり方を見直せる機会になるかもしれないから。
捏造番組の問題を、建築的な視点から考えてみた。