子供の頃、物を大切にしないと、「勿体無いことすると、罰が当たるよ!」と、叱られた。
だから、ご飯粒を残すなんて、以っての他だった。
「一粒のお米に八人の神様が居るんだから、残したら罰が当たるよ!」なんて感じでね。
宗教的に信心していた物は無いが、そう言う「罰(ばち)」みたいな物には、どこか畏怖の念があった。だから親の言うことは聞かなくても、罰が当たるのは嫌なので、ご飯粒を残したことは無いし、どうしても残す時には「ごめんなさい」と、謝ったものだ。
今の躾けに、「罰が当たる」と言う戒めの言葉を聞いたことがない。
家の中での躾けは「せっかく買ってきたのに勿体無い」とか、「もう買って上げない」と言う怒り方。外での場合は「オジちゃんに怒られるよ」とか「みっとも無いから止しなさい」と言う。
それが悪いと言うわけではない。
ただ、「罰は何処に行っちゃったんだろう?」と、思っただけ。
時代が変わって、罰はもう無くなってしまったのだろうか。
人が見てない所で悪さをしたときに、「こんなことすると罰が当たるかも」と、自戒することも、もう無いのだろうか。人が見ていなくても、自分は知っているし、罰を当てる係りの人も知っている。(それが誰かは知らないが/笑)
自分の愚行を自分で反省したり、恥じたりする為には、もっと「罰係」の人に厳しく罰を当てて貰う必要があると思う。そのためには、「罰が当たるよ!」と言う叱り方を、今一度、復活させるべきだと思うわけです、うんうん。
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何かあったらしい