家を建てると言う事

家を建てようと考える時、それは生きることに対する夢や希望と言った、喜ばしい事ばかりが思い描かれる。「一生に一度」と言われる、大きな買い物が出来ると言う事は、ある意味で「順風満帆」な時期なのかもしれない。その住宅への夢を、共に想い描く事が出来る設計者と言う生き方は、なんとも幸せな人達なのだろう。ただし長く家を造る仕事に携わっている方なら誰でも、決してそれだけでは無いと言う事も、痛いほど身に沁みて知っているものだ。
計画から二年余りの歳月を費やし、ようやく完成に漕ぎ着けた「城山の家」は、本日無事に引渡しを迎えた。
城山の家 完成
工事関係者の皆さんの頑張りには、心から感謝している。だがそれと同じぐらいに感謝しているのは、隣家の母屋に一人で住む御母堂様の心遣いだった。朝に、昼に、三時にと、お茶とお茶菓子をご用意いただき、職人さんたちは本当に感謝していた。遅れがちの作業時にも、御母堂様の心遣いで、イライラする事も無く、和やかに乗り切れた。こんな事を言うと失礼に当たるかもしれないが、ひょっとすると、お茶をご用意いただくと言う事が、御母堂様の日々の張り合いになっていたのかもしれないとも思う。もともとこの家の計画は、数年前にご尊父様が他界され、一人残ったご母堂様への心配りが始まりのこと。だから家を造る事が、「生」への張り合いとなったのなら、何よりも嬉しいこと。
実は今朝、この引渡しの前に、ある家にお邪魔してきた。
一年半ほど前に、御母堂様との同居を希望され、ご実家を建て直された家。そのご母堂様が交通事故で、お亡くなりになられた。掛かり付けの病院からの帰り道、前方不注意の車にはねられ、即死だったそうだ。
背のちっちゃいお母さんで、背の高い私には、とても可愛いらしく見えたものだ。そのご母堂様は打ち合わせに行く度に、お茶とお茶菓子をご用意下さったのだが、何よりも印象深かったのは、手を付けなかったお茶菓子を、チリ紙に包んで持たせて下さることだった。私が子供の頃には、そう言うオバちゃんが居たことを思い出し、なぜか子供のように扱われて嬉しかった。
事務所に戻り紙を開くと、中には飴や煎餅、栗饅頭なんかが入っていて、本当に楽しかった。お着物が好きな方で、小物も合わせて仕舞える造り付け収納を、部屋に設えたのだが、今日はその部屋に御位牌が飾られていた。
家を建てると言うことは、そう言うことも全部含めて、施主の気持ちとシンクロすることで、記憶の断片を共有したり、作り出したりする作業だと思う。大変なことも沢山あるし辛い事もあるけど、それ以上に楽しい事も嬉しい事もある。住宅を「作品」と呼び、憚らない方は大勢居るけど、私には、やっぱり「家」は「家」でしかなく、それ以上でもそれ以下でも無いように思えてしまう。そんな考え方だから、もう一皮向けずに悩み続けるのかもしれないが、それならそれでも良い。日日是勉強、日日是好日でありたい。
明日は日曜、来週からまた、頑張ります。
ありがとうございました。そして心からご冥福をお祈り致します。合掌。
「城山の家」施工:株式会社安池建設工業