物は大切に。でも捨てる時は潔く

コーヒーを買いに出かけたら、もうバレンタイン用のチョコが並べられているのを見付けた!
ホント、早いね・・・・。でもその前の「節分」は、どうでも良いのかな?
そうそう、今年から・・・・いや、正確には去年の暮れから、腕時計をするようにしたのだが、その腕時計は、ナント!50年以上昔の品だと言う事が分かった。よく動いてるなぁ~、さすが名門CYMAだけのことはある。大事にして、あと100年ぐらいは使いたい(←その頃には生きてないけど)
一つの物を愛着を持って、長く、大切に使う事は大切な事だと思う。
今は使い捨てる消費の時代で、愛着を持つと言う事に、意義を感じられない時代だけど、だからこそ一つでも良いから、大切に大切に出来る何かを持っていたり、見付けられると言う事は、それだけで意味があるのかもしれない。なんて、思う訳だ。
実は40年近い昔に買って貰った、電動鉛筆削りを今だ使っている(笑)
と言いながら、実は捨て魔な私。どっちだ?(笑)

コメント

  1. みけねこ より:

    こんばんは。
    そうですよね、何でもかんでも捨ててしまうから、あらゆる問題が起きているわけで。でも、その消費力が経済を回しているのだと言われたら、尻すぼみになってしまう今の社会が変わらないと、ダメなんでしょうきっと。
    物に執着しすぎるのは考え物ですが、大切に扱われた物には、簡単に捨てられない色んな思いが込められていますよね。
    40年近く使い続けられる電動鉛筆削りの性能も凄いですが、今、鉛筆を使ってらっしゃることに軽く驚きです。お仕事の関係でしょうか。
    我が家には多分、色鉛筆しかありません。
    さて。私も夫にポイっと捨てられないように、気を引き締めたいと思います(笑)。

  2. 探偵長 より:

    お手軽な消費文化が、確かに現代の経済を回しているのでしょうね。
    でもその傍らで、自然保護だ、環境保全だと騒いだりもする。
    両方とも大事だと分かっていながら、結果的には、どっちつかずで中途半端なのかもしれませんね・・・・。
    電動鉛筆削りの構造は、たぶん40年前から変わってないと思います。その大きさが変わっただけでしょう(昔のは大きい)
    一度、完全に分解して掃除した事があるので、今でも動くのかもしれません。
    ちなみに削っているのは、色鉛筆です。
    仕事に使っているのですが、100本ぐらいあるので、面倒臭い時は鉛筆削りにお任せと言うわけです。
    色鉛筆は、1cmぐらいの長さになったら、新しい色鉛筆に接着剤で連結させて、使い切ります。
    こう言う所は、勿体無い精神発揮です(笑)