魚が酸欠で死ぬ日

子供の頃、川での水遊びは海のそれとは違い、新鮮で水も冷たく、流れがあるので少し怖く、でもメダカやタニシや生き物に、沢山触る事が出来て楽しかった事を覚えている。大きな石をひっくり返すとサワガニが居て、逃げるサワガニをバシャバシャ水を撥ね上げながら追い掛けた。そんなふうに、はしゃいでいるから、履いていたビーサンが流される事もしばしば。流されるビーサンを無事に拾い上げられた時は良いが、片足が裸足のままで家に帰ることも有った。当然だけど、メチャメチャ叱られた。
そんな楽しくも少し怖い川は、子供の五感を育てながら遊べる絶好の場所だった。それが最近は、治水工事だ、都市計画だと理由を付け、川原をコンクリートで固め、曲がりくねった形を真っ直ぐに改良したりする。人間にとって、一時的に都合の良いように自然を弄ってしまう。その結果、川の上流で雨が降ると、その数分後には鉄砲水が押し寄せ、尊い人命を奪ってしまったりする。小田原市内では、6日、7日の二日間の間に、市内を流れる川に1500匹を超える大量の魚の死骸が浮かんでいるのも発見された。死因は酸欠らしい。
魚が酸欠で死ぬ時代。
「哀れね」「可哀想ね」「気持ち悪いね」「暑さが異常だよね」と、全てを他人事のように感想を言うのは簡単だけど、「明日は我が身」だし「身から出たさび」だと言う事を、「推して知るべし」だと思ってしまう。
「人間にだけ優しい、都合が良い」と言う発想・思想から物を作ることを止め、少しぐらい人間にとって不利益であっても、自然に対して総体的に利益になると言う考え方にシフトする時代だと思う。「今更、遅すぎる」と言う人もいるが、まだ大丈夫。
「地球に優しい」と言うフリをしながら、「本当は人間にだけ優しい」と言う発想を捨て、「本当の本当に地球に優しいと言う視点」を持たなければダメですよね。