景観か史跡か

現在ある小田原城は、1417年の築城時の姿ではない。
度重なる合戦や、その後の戦争。あるいは関東大震災などの被害により、その原型を留めてはいない。明治時代には場内に御用邸も設けられていたと聞くが、天守閣などが今の形に復元されたのは最近の話。そしてその復元計画は今も進行中です。国の史跡と言う指定を受けている事もあり、何かと頑張っているのでしょう。
今は城の東側に、馬出門(うまだしもん)と呼ばれる、出入り口を復元しようとしているところなのですが、その場所に大きな樹木が何本か植わっており、その樹木を伐採しないと復元できない状態です。樹木は松と梅と桜で、全部7本ほど。(たぶん) 関東大震災後に植えられたそうで、一番大きな松は20m以上もあります。で、ここで問題。史跡復元の為に樹木を伐採してしまいたい側と、緑を守りたい、今の景観を大切にしたいと言う反対の意見が出てきたから、さぁ大変! 
環境建築家(私的には、子供大好き建築家としてのイメージが強いが)として有名な仙田満氏までもが加わって、「景観とは何ぞや?」と言う論議になっているらしい。・・・と言っても喧嘩している訳でもないし、騒いでいる訳でもない。あくまでも冷静に、都市にとっての景観論や史跡の話を、みんなでもう一度考えてみましょう・・・と言うスタンスらしい。
これ、とっても良いチャンスだと思うけど、とっても難しいテーマでもある。
樹木と言う自然としての「景観」と、歴史的建造物の再生としての「史跡」の、どちらが重要化と言う事だけど、これが史跡ではなく、ただの建築物だとしたらどうする? 例えば高層マンションを建てるために、山を切り崩して平らにしますと言う話だったらどう?あるいはもっと身近な話で、家を増築するために樹齢何10年と言う桜を切ることになったら、近所の人に「切らないでくれ」と頼まれた・・・みたいな話だったら?(例えが下手かも?/笑)
歴史の重要性から来る、史跡の復元と言う事が大切だと言う事は、十分理解できる。
同時に景観と言う物の定義、若しくは重要だと判断される要素が、時代や環境によって変わる物だとも思えてしまう。つまり今の景観が、100年後の時代にも良い景観だと判断されるとは限らない。つまり定義が変わるものだと思うのです。
・・・・・・・・・・・・・・、書いていて、頭がゴチャゴチャする。
それらを踏まえた上で、史跡の今の復元が必要なのか、あるいは将来でも許されるのか、そんな見方で考える事も、一つの考え方だと思う訳。
勢いで書き始めちゃったけど、書いていて、その難しさに文章が滅茶苦茶になってしまいました(笑)難しいことを書くのは止めよう、うんうん。
ここ 見てみて

コメント

  1. 灰色猫 より:

    梅とか松とか樹木が植えられてから今現在迄も、立派な町の歴史だと思いますが…。
    切ったとしたら、あと何百年後かして『この町には立派な樹木が植えられていたんだー』って言う人が現れて、歴史再生とかで樹木を植えたりなんかしたりしてね。
    …等と意地悪く思ったりなんかします。
    だから、東京駅の今の改修工事も微妙な気持ち。
    建てられた当初に戻すって言われても、私には生まれた時から(多少改修はあったけど)今現在の姿が見慣れた東京駅なんですよね
    私のコメントは訳解らないな。いつも、すみません。

  2. 探偵長 より:

    いや、ホントに私も灰色猫さんと同じで、史跡か景観と問われたら、答えに窮してしまいます。
    「史跡再生」と言うのは、その史跡が建設された当時の形に戻す事ですよね。
    その形がベストだったのは、その時代だったからの話で、今も時代にマッチした形かどうかは誰にも分からないと思うのです。
    そりゃあ~、主観で良し悪しを判断する事は幾らでも出来ますが、そんなことに意味は無い。
    そしてそれは「景観」においても同じこと。
    こう言う話って、ホントに難しいですね。
    たぶん日本の義務教育の中に、「都市計画教育」や「建築教育」が含まれていなからかもしれません。
    せめてもう少しだけ大勢の人が、都市に興味を持つ必要があるのかもしれませんね・・・。