昨日、隣のアパートの前に、またパトカーが停まっていた。
聞けばパトカーが来る前には、救急車が来ていて、それと入れ替わりにパトカーが来たらしい。
パトカーの傍で、おまわりさんと押し問答していたのは、私が以前救急車を呼んだことのある、タクシー運転手のオヤジ。オヤジは、かなり酔っているようで、おまわりさんの説得に執拗に逆らっている。
そんなオヤジは、どこか昭和の哀愁を漂わせる白のダボシャツにステテコ姿。アレでちょび髭でも生やしていれば、貧相になった植木等と言った感じだ。そんな貧相な植木等もどきは、なぜか痩せ細った子犬を腕に抱えていた。その姿がまた、妙な哀愁と貧相さを助長している。30分近い押し問答の末、パトカーに乗せられたオヤジは、腕に子犬を抱えた姿で連行されて行った。
パトカーを呼ばれた理由は、オヤジと同居する内縁の異国の女性が、きっと通報したのだろう。
これはいつもの事なので、近所の人はみんな知っている。そしてオヤジの酔いが覚め、同居女性の怒りが納まれば、しぶしぶとでも身柄を引き取りに行くに違いない。そしてまた、暫くは静かに暮す。本人達にしてみれば、ちょっとした痴話喧嘩ってところなのかもしれない。
でも近所に住む者にしてみれば、まことに持って迷惑な話。毎度毎度の救急車騒ぎやパトカーの出動、大声での怒鳴り合いや、物の割れる音なども聞こえるらしい。幸か不幸か私は、それらの音や怒鳴り声を聞いた事は無いが、同じアパートには小さな子供の居る家族も住んでいる。きっと薄っぺらな壁一枚、床板一枚の向こう側で、修羅場が演じられている雰囲気は、なんとなく分かる筈。
世の中、全てが平穏無事で憎しみの無い愛の満ち溢れた世界です~、なんて言う気はさらさら無いが、小学校に上がる前の我が子に、そんな人の憎み合う声を聞かせるのは、親としては忍びないのではないかと思うし、子供も知らなくていい恐怖を覚えてしまうのではないかと思う。
本人達にとってはただの痴話喧嘩でも、他人にとっては憎悪の塊がぶつかり合う醜い様で有ることに変わりが無い。まして、他人の子供にとっては、とても恐ろしい体験。
一近隣住民とすれば、どっか行ってくんないかなぁ~と言うのが本音だし、一建築家とすると、隣の生活音まで聞こえてしまうような、ペラペラなアパート(共同住宅)を作るの、いい加減に止めたら?とも思ってしまう。
暦の上ではとうに秋だが、こう言う醜聞は、見たくも聞きたくも無いのですよ。