普段何気なく見えているもの、これ全て表側。人であれ物であれ、そこに違いはない。
表があれば裏がある。見た事は無いが、月にだって裏がある。人類が絶えず見ている月は「表側」で、月の裏面を見た人類は、そうは居ない。もっとも月にしてみれば、勝手に「こちら側が表で、こちら側が裏」と決め付けられるのは、甚だ遺憾だろうとは思うが・・・。
良い人のことを、「裏表の無い人」と言うが、あらためて考えると、それは正しい例えになっているのだろうかと悩んでしまう。なぜなら、裏を「悪」と考え、表を「善」と考える前提自体に疑問を感じるから。
とは言え、人は「裏」と決め付けられると、とても怒る事がある。
例えば駅を挟んで、東側のエリアを「表駅」と呼び、西側のエリアを「裏駅」と呼んだとしよう。
すると「裏駅側」と呼ばれた西側エリアの人は、途端に気分が悪くなる。
もっと小さなエリアで例えると、自分の家を基準に話をするとき、北側に建つ家を「裏の家」と呼び、南側に建つ家を「前の家」と呼んだりする事がある。でもそれは自分たちだけが勝手に決めた呼び方で、ひょっとすると北側の家からは「お向かいの○○さん家」と呼ばれているかもしれない。
北側の家は好意的に呼んでくれているのに、自分たちは「裏」と呼んでしまうことに、後ろめたさは無いのだろうか。
物の場合、「表」と同様に「裏」にも意味がある。
例えば服の裏地は、デザインを整えたり、肌触りや着心地を良くしたり、透けたり汚れたりすることを防ぐ意味がある。着物においては、「単」しか無かったら、冬場寒くて仕方が無い(笑)
とまぁ長い前フリだったが(笑)、物には表以上に大切な裏もあると言う事。
写真はホームエレベーターを下から見たところ。つまりホームエレベーターの裏。
ふだん絶対に見る事が無い場所だけど、こんな感じになっている。
ここが頑張るから、人は楽に垂直移動が出来るのだ。
裏も大事と言う、お話でした。
屁理屈を捏ねてゴチャゴチャ書いたが、やはり人だけは「裏が無い人」の方が良いと思うのは、正直な話。私も「表裏が無い人」で有りたいと願うのですが、これがなかなか難しいですね・・・・・。