数年前に、家の設計をした小川さんから「たまには飲もうよ!」と、久しぶりの電話が掛かってきた。
私は二つ返事で了解し、一升瓶を土産に久しぶりに沼津の駅に降りた。
小川さんの家の内壁は「しなベニア」と言う、白いベニア板を張ってあり、植物性の油を何度か塗り重ねて、最後にタオルで拭き取っただけの、少し変わった仕上げになっている。だから、年月が経つと壁が飴色に変化していく。その変色具合を見たかったので、訪ねていくのは楽しみだった。数年ぶりに見る壁は、落ち着いた感じになり、なかなか良かった。
「小川さん、壁・・・良い色になってきましたね ムフフ」
「そうでしょ、そうでしょ ムフフ」と、大の大人が二人で壁を見ながら、ほくそ笑んで、酒を酌み交わす姿は、さぞ不気味であっただろう。横で見ていた奥さんは、呆れていたに違いない。ところがお酒が進むうちに、小川さんの様子が変わってきた。
「やっぱり2階の、あの部屋はいらなかったかもしれない。言うことを、聞いておけば良かったと、少し後悔してるんですよ。」と、話し始めたのだ。
小川さんの家は、1階に「茶の間」を造った。断じて、居間でも無ければリビングでも無い!間違い無く「茶の間」なのだ。それが証拠に、ご飯は茶の間で「ちゃぶ台」で食べている。テレビもそこに有る。当然、床には畳が敷いてあって、寝転ぶことも出来る。
だから、この家にはダイニング・テーブルという物は存在しない。 (ちなみに中学生になる2人の子供と計4人家族と言う、ごく普通の家庭である。)
設計当時、 「ドラマの中の家のように、革張りのソファーを置いてある居間では、絶対にくつろげないから、ゴロゴロ出来る茶の間にしてほしい。それに、一度ちゃぶ台をバーン!と、ひっくり返してみたいんですよね~」との希望だったのだ。
「うんうん、わかるなぁ~ そうでしょ~、そうなんですよね~」と、つい嬉しくて大いに盛り上がった記憶がある。そんな意味では、大変気があったので打ち合わせなのか、宴会なのか判らないことも何度かあったほどだ。・・・面目ない。
その小川さんと、唯一意見が合わなかったのが、2階の“あの部屋”なのだ。それは、「2階の東南の角にも茶の間のようなスペースを造って欲しい」と言う要望だったのだ。
「いやぁ~、友達が来たときにマージャンやったり、酒飲んだりする場所が欲しいんだよ~」
「それは、茶の間で足りませんか?月に1回か2回程度のことで、その他の時には使わない部屋なんて、もったいないでしょう。仮にそんな部屋を造っても、きっと使わないと思いますよ」
などと言う説得も空しく、施主の権限で押し切られて出来上がった部屋のことである。 余談だが、当時私は悔しくて、設計図の室名に「宴会場」と書いた。確認申請の時に、役所の人に「この部屋は一体なんですか?」と聞かれて、説明させられた記憶がある。 あのときは、恥ずかしいやら悔しいやらの複雑な心境だったのを、今でも覚えている。
「やっぱり、あの部屋使ってませんか?」
「ええ、友達が来ても茶の間の方が居心地が良いもので、2階に行きたがらないんですよ~。結局、物置みたいになっちゃって・・・。女房には“反省室”と呼ばれています。」 (上手い!上手すぎる!!)と、思ったが実際には、どう返事をして良いのか困ってしまった。
こちらの提案が、不評だったのではなく「施主のゴリ押し」で、出来たものが結果的に後悔の原因になっている。しかも「やめたほうが良いですよ」と言うアドバイスを、聞いてもらえなかった結果なのだ。家は住む人の物だから、その人がこうと言い出したら法律に違反していない限り、どんなものでも出来上がってしまう。でも、こちらはプロなのだ。毎日毎日、家のことばかりを考えている。
素人との差は歴然のはずなのに、何故か「施主の権限」で挑んでくる。専門家の言いなりに、家を造れと言っているのではない。お互いの意見を尊重しながら、後悔しない家を造りたいと思っているだけなのです。 たったそれだけのことなのだが、それがなかなか難しい・・・。私も、大いに反省せねば・・・。
私たちのやり取りを、微笑みながら聞いている奥さんの“目”だけが笑っていなかったのを、私は見逃さなかった。