鏡は縦にひび割れて 3
はその場から、不動産会社に電話を入れた。H氏には、事の真相を確かめてから伝えた方が良い。余計な心配をかけたく無いと、判断したからだ。
不動産会社の社長W氏とUさん、それに私の3人は机の上に並べた、幾つかの物を見つめていた。
「これ、一体どう言う事なんですか?あの家、何かあるんですか?」
私の質問に、「実は・・・」と、話し始めたW氏の話しは、驚くべきものだった。
あの家に、元々住んでいた親子は、父親を事故で無くした3人家族。きっと、写真の人たちがその家族なのだろう。生前父親が、やっとの思いで建てた家に残された3人は、慎ましやかに生活していたと言う。
ところが、父親の1周忌頃から母親の体調が悪くなり、寝たきりの状態になってしまう。原因が判らず、これと言った病名も無いまま寝こむ母親。近所の人たちも見かねて、手助けしてくれるものの、生活はドンドン苦しくなるし、母親の病気も治らない。唯一、目に見える症状と言えば、首に出来た大きな赤い痣。
いつしか「首の骨を折って死んだご主人の未練では・・・」と言う噂までもが、飛び交うようになり、近所の人たちが「お地蔵さんでも立てて供養してみては?」と言う話になったらしい。(そうか・・・あの犬を連れたおじいさんは、知っていたんだ・・・)
庭の奥に、小さな地蔵を立て供養するものの、母親の様子は変わらなかった。さらに、まだ学生だった長男が、学校を辞め働き始めるのだが、その収入だけでは生活できず、いつしか父の保険金も底をつく始末。
長男は、ドンドン収入の良い仕事に変わっていくのだが、体力的にも無理があったのだろう。ある日、仕事中に工事現場から転落する大怪我を負ってしまう。彼は下半身麻痺の状態になったと言う。
だが、現場は「労災」を認めなかった。工事現場での事故を認めれば、監督庁の立ち入り検査などで、作業が全面的にストップになる。しかも親会社は致命的なダメージを受けるからだ。(なかなか労災を認めないことは知っていたが、本当にそんな事があるとは・・・)
数ヵ月後、長男は自殺したらしいとの噂が流れる・・・ちょうど、その頃だったと言う。建物が売りに出され、一家の姿が消えたのは・・・・・。
W氏の長い話が終わっても、私は言葉が無かった。そんな事が本当にあるのか?テレビドラマじゃあるまいし・・・。W氏が話してくれた事にも、根拠は無い。ただ、地元でそんな噂を、耳にした事があると言う程度だった。つまり、W氏も信じていなかったのだ。
ただ・・・、目の前に並べられた数点のものが、「それが事実だ」と語っているような気もした。
結局この話しが、真実か否かは私には判らない。また、判断する必要も無かった。ただ、H氏に黙っている訳にはいかない・・・。
数日後、関係者全員が現場に集まった。お払いと供養をする為に。ところが、いくら庭を探しても「地蔵」らしきものの本体は、見つからなかった。中には、「あれはただの石だよ」と言う人もいたが、それならそれで良い。そんな事は、問題ではない。H氏が、この土地に住めるかどうかが、最大の問題なのだ。
誰も、近所の人たちに、事の真偽を確かめるような真似もしなかった。それが、何の解決にもならないことを、知っていたからだ。また近所の人たちも、何も話しかけては来なかった。
H氏は、この土地に住むと言った。ただ、一部設計変更する事になったが。それは、庭の片隅に「地蔵」を祭ると言う事だった。
関係者には、この不思議な出来事は緘口令が敷かれた。監督のUさんは、工事中ずっと、現場に対して挨拶する習慣を続けた。庭の片隅に水や塩を盛り続けたのだ。私も現場に行くたびに、必ず庭の片隅に手を合わせた。
それから半年、建物は無事竣工を迎えた。「ひょっとしたら、事故でも有るのでは・・・」と不安に思っていたのだが、ホッと胸を撫で下ろした。
庭には、小さな「お地蔵さん」が祭られた。部屋には、不釣合いな「神棚」も作られた。H氏は、「あの水鏡を飾る」とまで言い出したのだが、それだけは周りが止めた。あまりにも無謀過ぎるからだ。こうしてH氏の住宅は、静かに完成を迎えたのだった。
私が感じた、不思議な首の痛みも、写真や丸い石の正体も、何も判らずじまいだ。水を湛えていた池も、もう無い。不思議な事ばかりだったような気もするし、今思えば、すべて気のせいだったような気もする。だが、真実を追究する必要も無いだろう。
人が生きていくと言う事には、いろんなことが付きまとう。それを付き止める事だけが、正しい事でもない。私も老練なH氏も、きっと想いは同じだった筈。だからこそ、H氏はここに住むと決めたのだろう。
今年もH氏から、暑中見舞いが届いた。「花火大会を見に来て下さい」と・・・・・。
一夏の不思議な体験が、また思い出される季節を迎えようとしていた。
H氏に、伝えなかった事が一つだけある。工事の着工前に、私とUさんが神社に数点の品を納めに行った時、箱の中に仕舞っていた水鏡が割れていたのだ。さらしに包み、割れるはずも無い水鏡が、真っ二つに。これが何を意味するのか、あるいはしないのか、私は考えることはしなかった。
今でも、それで良かったと思っている。
・・・・・・・・・・・・・・・【チョット あとがき みたいなもの】・・・・・・・・・・・・・・・
長くなりました。最後までお読み頂き ありがとうございました。
土地・建物に関わる仕事には、いろんな出来事に遭遇する事があります。でも、それらは
全て「人生」への、人の「想い」あるいは「情念」みたいなものだと思っています。
そう言うの・・・嫌いじゃありません私。 「喜・怒・哀・楽」を感じていた家。懐かしむ想い。
ちょっと、切なささえ感じてしまいます。 出来れば、怖いのは嫌ですけどね(笑)
それでは、また、いつかお会いしましょう。 Hさん、ご協力感謝です!