残念なことですけど、相変わらず「我が子を虐待し、傷つけ、あるいは死に到らしめる親」の事件が後を絶ちません。
3歳の我が子の両手両足をビニール紐で縛り上げ、叩き、蹴り、死に到らしめる母。あるいは9歳の子を裸で縛り上げ、ベランダに丸2日以上放置し凍死させる親。神奈川県内では、無許可の託児施設内で起こった死亡事件と傷害事件などなど・・・。 何でこんな陰惨なことになるのでしょう。
そんな世相を反映するかのように、今月二十日には「児童虐待防止法」と言う法律が制定されます。これは虐待の定義を決めるとともに、学校の教師や病院の医師らに、「おかしい?」と思った際には、直ぐに通報を義務付ける物。また通報を受けた機関は、直ちに親との面談を行い、必要とあらばその場で児童を保護する権利を有する物です。つまり、欧米と同じような社会になるのです。
よく考えると一連の児童虐待行為は、ここ数年顕著化したもので、昭和中期頃まではあまり聞かなかった事件のような気がします。仮に有ったとしても、限りなく少数だったでしょう。間違っても、今ほど連日事件が起きていたわけでは、絶対にないと思います。ならば、なぜ今はこれほど多いのでしょう?
例えば「育児ノイローゼ」等を原因とする「ストレスが多い時代」なのかもしれません。核家族化し助けてくれる家族もいない中で、新米母に育児の重責は相当な物だとも理解できます。進学・就職・離婚と言った心配要素や、子供を育てにくい環境に変わりつつあるのかもしれません。でも、それを理由にしたら核家族の母親全員が、「児童を虐待する予備軍」になってしまいます。
原因は一つのことではないでしょう。いろいろな要素が絡まりあって起こる「心の不安定」なのでしょうから。その一つに、住居の有り方も有るとは思っています。密閉性が高く、個室化する部屋の集合体。風の通らない、気配の感じられない家。息が詰まりそうになる様子が、目に見えるようです。
親として、あるいは人として成熟していない年齢での出産や、命の尊厳を軽視する風潮。原因と思われる事を挙げればきりがありません。そして、その多くの原因を一つ一つを、クリアしていくことも「子供への虐待行為」を無くすことに繋がるのかもしれません。
また、心の安定が保てず困っている母親が、一体何処に救いを求めれば良いのかさえも、実際には判り難いのが現状ですよね。
私が以前読んだ本の中で「叱る」と「怒る」とは別の物だと書いた本がありました。「叱る」とは、理性的に物の良し悪しを諭すことで、「怒る」とは、自身の感情に任せ、本質とは違う部分で感情的に攻撃することだと書いてありました。「なるほど」と納得した物ですが、実践するのは難しいことでしょう。
子供を虐待する親の心のケアは大切なことですが、実際に暴行を受けている子供の心をケアすることも大切なことです。子供時代に暴行を受けて育った子は、大人になってから同じ事を繰り返す事が多いとも言われています。次の世代にまで「児童虐待」と言う言葉を持って行きたくは無いですよね。
どんなに暴行されても、子供は親を愛しています。親も、その事を忘れずに「心の病気」をゆっくりと癒せる環境に立ったほうが、お互いに幸せになる道もあると言うことを、感じて欲しいですねぇ。
インターネットで「児童虐待」と検索すれば、山ほどヒットします。つまり、それだけ大きな問題なのでしょうね。なんでも「法」で解決するのは嫌ですが、この「児童虐待防止法」が制定された「法の精神論」を、もう一度考えたいと思います。私も、一応親ですからね。チョット建築とは離れてしまいました。