「ゆうちゃ~ん、ご飯よ~。もう帰りなさ~い」
「は~い!ゆたかちゃん、やっちゃん またね~」
「うん、じゃあね~バイバイ~」
「ゆたか~ご飯よ~」
「は~い!やっちゃん、またあしたね」
「うん、バイバイ」
結局、いつものように僕一人が最後まで残っちゃうんだ。ゆうちゃんちのお父さんは消防車に乗って火事を消しに行く消防士さんだ。ゆたかちゃんちは大きな旅館をしている。二人ともチャンと夕方になるとお母さんが迎えに来てくれる。・・・・・それも毎日。
手が冷たくなる季節になると、暗くなるのが早いんだ。僕はトボトボと一人帰り始める。道の両側に建つ家の窓には、なんだか暖かそうな明かりが点いていて、その明かりに包まれると、どんな感じなのかなぁ~とボンヤリ見てしまう。
僕のうちは夕方になると、おばあちゃんしか居ない。だから誰も呼びに来ない。一度で良いから迎えにきて欲しかった。暖かそうな明かりの点く家で、ホカホかなご飯が食べたかった。今日学校であったことを思いっきり話したかった。・・・・・ただ、それだけのこと。僕の5歳の秋、お腹が空いていた。
時が経ち、僕は転校した町にも少しずつ慣れてきた。この頃の僕は大工さんに憧れていた。僕たちの遊び場は、いつもの材木置き場。太い木が何本も寝かされている場所は、僕たちには絶好のかくれんぼの場所だった。太い木の上からジャンプするのも面白かった。・・・・・正直、ちょっと怖かった。でも飛ばないと皆に馬鹿にされるから、僕は怖いのを我慢して飛んだ。地面に付くと足の裏がジ~ンとして、チョッとだけ涙が出た。
少し離れた場所で、ジィーンと材木を切る音が聞こえている。僕は太い木の間に入って隠れていた。小さく息をすると、土の匂いと一緒に木の匂いがした。今度は大きく息を吸ってみた。一杯木の匂いがしたけど、チョット埃で喉が痛かった。
僕は木の香りを吸うのが好きだった。だから明日もまた来ると思う。そしたら、またジャンプするんだろうなぁ・・・。8歳の夏の昼下がり、アイスが食べたかった。
僕は授業参観の紙を破り捨てた。この頃には僕は気が付いていた。僕が子供のうちに、あんな明かりが点る家には住めないんだ、と言うことを。僕が14歳の春、授業参観なんか嫌いだ。
「俺には、お前たちの気持ちはわかんねぇよ・・・」山口は、少し寂しそうにウィスキーを煽った。
「バ~カ!そんなことは解んねぇ方が良いの!両親が揃っていて良いじゃねぇか!」長野も寂しそうに答えた。
俺と長野は片親で、山口だけに両親が揃っていた。でも俺たち3人は気が合った。喧嘩もしたし酒も飲んだ。
まだ17歳だったけど、山口は俺たちの心の傷を感じようと努力し、感じきれない自分を責めていた。
そんな奴の気持ちは正直嬉しかった。だけど奴が思ってるほど、俺も長野も母子家庭なんか気にはしていなかった。でも山口には言えなかった。いつもより無口な3人が酒を飲み続けた。
ウィスキーが苦いものだと、初めて知った17歳の夜だった。
俺は東京の専門学校に行くことにした。地元を離れ寮に住むことになっている。同級生の半分以上の男と女が来た、この部屋ともお別れだ。でも別に寂しくなかった。仲間たちは、それぞれの進路を目指し地元から離れることになっていた。
学校から帰り、なんとなく俺のアパートに仲間が集まった。リーゼントや派手な色に染めたヘアースタイルももう見られない。男が9人で日本酒を飲み続けた。馬鹿な思い出話で騒ぎ続けた。部屋には一升瓶が転がり始めた。
山口がボソッと言った。「おまえらと離れたくねぇよ~」堰を切ったように泣き始めた。さっきまでの盛り上がりが嘘のように、みんな黙ってしまった。「おれもだよ・・・」背の高い厳つい男も涙をこぼした。それを合図にみんなが泣き始めた。
大の男が酒に酔って、オイオイと声を上げて泣く姿は無気味だった。なぜか俺の頭には「酒と泪と男と女」が流れていた。気が付けば俺も泣いていた。
そんな時に扉を激しく叩く音がした。・・・・・下の階の大家だった。俺は大家に「うるさいから静かにしろ」と、しこたま怒られた。怒られている俺の後ろで、奴らはさらに激しく泣いていた。子供か、おまえらは?
次の朝、酔いつぶれた奴らの横で、俺は窓から朝日を見ていた。タバコを咥えると不意に後ろから山口が火を差し出した。
「起きてたのか?」
「何見てんだ?」
「別に・・・」
しばらく二人で朝日を見ていた。なんとなく何か話したいような、話すことも無いような時間が流れていた。
「頑張れよ」不意に山口が言った。
「フッ、おまえもな」俺は、もっと上手い言い方があったような気がした。
山口は電気の勉強をしに、俺は建築の勉強をしに東京へ行く。いつか一緒に仕事をしたいと思ったが、口には出さなかった。高校の卒業式の夜はこんな夜、そして、こんな朝だった。
俺は一人でも平気だと思っていた。一人には慣れている。だけど見知らぬ駅に一歩降りた途端、大勢の人が俺の横を通り過ぎ行くのを見て不意に寂しくなった。こんなに大勢の人が居ても、俺のことを知っている人は誰も居ない・・・。
奴らの顔が浮かんだ・・・帰りたかった。夕暮れの都会は田舎者の俺を優しく出迎えてはくれなかった。ここで、これから俺は何をするんだろう・・・・・。漠然とした不安だけが心を埋める、気の弱い俺がいつまでもそこに立ち尽くしてつくしていた。18歳・・・もう直ぐ春の頃だった
つづく