Essay 166 祈り

夢の実現/家族への愛情/社会的信用の確保/不安の解消/生活基盤の安定/安心の確保/自己満足/節税対策/本能/Etc



家を建てることの理由を一言で表すとすれば、大抵の方の理由は、これらの言葉の中にその意味を見出せるのではないだろうか。本当は、もっと複雑で一言で表せない部分が沢山有るのだろうけど、それでも敢えて「一言で表す」としたら、こんな言葉になるんじゃないだろうか?と言う意味である。


当然これらの内の一つの理由ではなく、幾つかの事柄が当て嵌まるのだろうし、ひょっとすると全部かもしれない。いや、もっと全然違う理由さえ有るのかもしれない。


そんな様々な想いが込められた家でも、建てる側、つまり施工者サイドとすれば、【ビジネス】と捉えてしまうのだろう。勿論それで良いと思うし、現にそう割り切る会社にも沢山の建築主が依頼する。依頼する側にどんな理由が存在しようとも、作り手はその質を確保し、予算に合わせる事が大切なのであり、施主の理由まで考える必要は無い。考えた所で【建物の質】に何ら影響を与えることが無いのも、また事実だからだろう。


ところが設計と言う作業に関して言えば、少しだけ話が違ってくる。【設計】も【施工】も、同じ作る側の仕事だから、「設計作業だけがなぜ?」と言う不思議な気もするが、事実違うのだから仕方が無い。


設計者も施工者も【家を建てる側】なのに、なぜ違う部分が生じるのか?実は答えは簡単だ。施工者には「家を建てる為の道筋である設計図」が存在し、設計者には「その設計図を、施主と一緒に作り上げる」と言う、道の無い所に道を作ると言う、仕事の違いなのだと思う。


設計者の立場は、当然「施主の心情」に近い部分に触れる事になる。その部分に触れなければ、道は作れない。だから時には夢も語り合い、愚痴をこぼし合う事もある。当然、家を建てたいと思い立った理由にも触れる。場合によっては、その理由が一番大切なコンセプトになる事さえ有る。

そんな設計と言う作業であっても、設計者によっては「それでもビジネスライクに、クールに割り切る」と言う事が多いのかもしれない。「そんな瑣末な事より、如何に効率良く仕事を回すかが一番大事」と言い切る設計者さえも存在する。設計事務所だって一企業と考えれば、それが正論なのだろうとも思う。


だが自分は、どうしてもクールに割り切れない事の方が多い。施主の気持ちにシンクロしてしまう時が有り必要以上に、喜んだり悲しんだりしてしまう。住宅の設計とは、なんとも辛い作業だったりする・・・。だか同時に、なんとも楽しい仕事であるとも言える。


設計者が、自分が設計した建物と、その依頼主に対して思う持ちを一言で表すとすれば、それはきっと「祈り」と言う言葉が一番近いかもしれないと思う。


ある住宅計画に携わり、そんな気持ちをあらためて感じた。
それは・・・・・・・いろいろな意味の『祈り』を込めた計画だった。



今回は設計者の気持ちの部分を少し書いてみました。全てを書けない事情もあり、少し曖昧な表現になってしまったことを申し訳なく思います。このエッセイに書かれている計画と、ちょうど時期を同じくして、「受け入れられない設計者の職域と職能」と言う現実を、あらためて付きつけられる出来事があり、懇意にして頂いている設計者の方々と話をした事がありました。


その両方の事柄を、頭に浮かべながら書いたのが今回のエッセイでした。ひょっとすると日記のような内容かもしれませんが、設計者が家を考える時の「想い」で有ることは事実です。そして、そう言う事柄を考えながら『家』を考えるのが、設計者の仕事であると言う事を書きたかったのです。


上手く表現しきれない稚拙な文章力に、自分自身が情けなく思いますが、今回はご容赦頂ければ幸いです。