Diary 2001年7月3日

昨夜、夢を見た。奴と奴の奥さん、それにもう一人、女性が遊びに来る夢だった。私は彼らに「おはぎ」を出した。甘い物が大の苦手な奴で、直ぐに「歯が溶ける~」と騒ぎ出す奴が、「うめぇよ、これ!」と、笑いながら“こしあんのおはぎ”を頬張っていた。

暫くすると女性二人は消え、奴がおもむろに貯金通帳を取り出し始めた。
「今、こんだけ有るから、家建てようと思ってんだけど」と言って、ノートを広げ始める。「え・・・っと、大工はあの人に頼んで、ペンキはあいつで、電気は自分でやるから・・・、図面はおめえな!だから費用はゼロで良いし・・・」と黙々と、でもとても楽しそうに考えている姿を、俺は黙って眺めていた。夢はそこまで。たった、それだけの短い夢だった。

今日は奴の命日。墓参りにも行けないし、線香もあげられないが・・・忘れてないよ。

五木寛之氏が著書の中で、「人は生まれるのに十月十日かかる。だから死ぬまでにも同じ月日がかかるのだ」と書いていた。これは十月十日経てば忘れてしまうという意味ではなく、逝ってしまった事実を受け入れられるのにかかる月日だと言う。なるほど・・・そうかもしれないと思う反面、それでは済まないと思う気持ちもある。

奴と家の話をした事が一度だけある。「実家が持ってる土地が有ってさぁ、チョッと不便なんだけど、あそこに家でも建てる時は頼むぜ!」と言われたことを覚えている。

今はもう叶える事の出来ない奴の家、どんな家だったんだろうと想い描くこともある。今日はクリストファー・クロスでも聴きながら、過ぎた夏の日を思い出すことにしよう・・・・・。                                                      (合掌)

川は流れて どこどこ行くの 人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには 花として 花として 咲かせてあげたい
泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

涙流れて どこどこ行くの 愛も流れて どこどこ行くの
そんな流れを この胸に 花として 花として むかえてあげたい
泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

花は花として 笑いもできる 人は人として 涙も流す
それが自然の歌なのさ 心の中に 心の中に 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ