やがて土に還るのだろうか

計画地の周辺を散策してみた。車を置き、徒歩で山中へと続く道を歩く。人も車も通らない静かな道。崖下に流れている沢の水音だけが、小さく聞こえる。そんな山の中の道を歩いていたら、ふと木々の向こうに見えた異界の物の姿。

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近付いてみると、それは揚水ポンプのような人工物だった。

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まるで青々とした竹林の真ん中で、茶色の太い竹が伸びているかのよう。だがなぜか意外な事に、その姿を綺麗だと感じてしまった。まだ活動しているのか、それても既に動くことの無い屍なのかも分からない茶色の塊だか、なぜかカッコイイ。なんだろう、この自然の中で朽ちている人工物が放つ哀愁のような雰囲気は。そしてそれをカッコイイと思ってしまう感覚は。

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きっとまた、見に来ると思う。

コメント

  1. かちかち より:

    まったく同感です。鉄と樹木の共存を死ぬまで突き詰めた彫刻家若林奮(いさむ)を思い出しました。芸術としてではなく、期せずして成り行きで同居した姿には、人の計らいを超えたものを感じさせますね。いや、凄い光景です。

  2. 雨子 より:

    何って表現したらよいかわからないような美しさですね。
    物言わぬもののこえに耳をかたむけると、このあたりの地の、
    木も葉も鳥も聞こえてくる音や見えるものすべてが宝箱みたいな感じで、
    幸せな気持ちになります。
    伝えてくださり、ありがとうございます。

  3. 安井俊夫 より:

    かちかちさん。
    自然の中に造った物が朽ちていく様には、見る側の哀愁という視点が加味されるのかもしれませんね。若林さんの作品は勉強不足で多くを知りませんが、なぜかクスッと笑ってしまうような作品が好きです。

  4. 安井俊夫 より:

    雨子さん
    木漏れ日よりも、霧雨が似合う光景だと感じました。これから先、きっと周辺を散策されることになると思いますが、かなり癒されると思います。
    たぶん森林浴の効果もあるのでしょうね。