Diary 2006年12月25日

身内の葬儀参列。
身内と言っても、血縁で言えば薄いのだが、近しい人に変わりは無い。
たくさんの人に見送られた、立派な葬儀だった。


でも、式中、私は自分が死んだ時のことを考えていた。私が死んだら、葬儀は要らないと・・・・。
誰にも知らせずに、こっそりと焼き、こっそりと沈めてしまえば良いと考えていた。
そして何年か後に、「そういえば、彼を最近見ないね」とか、「そんな人も居たね」なんて感じで、消えていくのが理想だ。
なんて、不謹慎ながらに。

もう一つ、今更ながらに気が付いたのは、火葬場での食事のこと。
遺体を焼く時間が、たとえ食事時で無くても、待っている間に食事を振舞うのは「食べることが生きること」に、繋がるからなんだろうなぁ~、なんてことを考えていた。亡くなった方が焼かれているのを待つ間、生きている人は食べると言う『生への執着行為』を行う。悲しいけど、引っ張られてはいけないと言うことなんだろうね。

何十年、生きたかと言うことよりも、それぞれの瞬間を、どう生きたかが大切なんだと感じた。