公園は迷惑施設なのでしょうか。公園で子供たちが遊ぶことは、近くに住む人たちに迷惑をかけてしまうことなのでしょうか。キャッチボールをしてはいけません、サッカーもいけません、声を出したり騒いだりしてはいけません、犬の散歩なんてもってのほかです。中学生や高校生が学校の帰りに公園のベンチに座って話をするなんて、きっと良からぬ相談をしているに違いないので通報します。公園内のトイレも使ってはいけないし、水飲み場で水を飲むなんて許されない行為です。芝生に入ってお弁当を広げるなんてこともダメです、ウォーキングやジョギングと称して歩き回るなんて気持ち悪いので禁止です。
じゃあ公園て、いったいなんのために存在しているのでしょう。
お年寄りがゲートボールするのは良くて、お花を植えるのは良いけど、それを愛でるのはダメで、寝ている赤ちゃんを日光浴させるのは良いけど、泣き出したら帰らなければいけない、そんな場所なのでしょうか。それならば、もはや公共の施設ではありませんよね。信濃毎日デジタル版で取り上げられた記事が下記です。
子どもの声がうるさいから公園が廃止…それでいいの?揺れる長野市の現地で徹底取材〈声のチカラ〉
公園で遊ぶ子供の声がうるさいと、たった一人の人物から繰り返しクレームが寄せられ、その結果、公園の利用が出来なくなったという記事です。公園の隣には児童施設や小学校もあります。つまりその公園は子供たちの生活の場の中心にあるとも言えます。たしかにそれなりの喧騒はあるのかもしれませんし、クレームを入れた人物にも言い分があると思います。それでもたった一人のクレームで、公園と言う公共の場を封鎖する行政の判断には疑問を覚えます。クレームを入れた人物が国立大学の名誉教授と言う立場の人物だから、忖度したのではないかと邪推されても仕方ないと思います。
公共の利益よりも、一人のクレームが勝る街に住みたいですか? 私は嫌です。この件だけではなく、きっとこの先も、クレームを入れた者勝ちの判断が下されるに違いないと思うからです。それが公共の利益を妨げても、大勢の人の助けになる活動であったとしても、困っている人たちを救済する場所であったとしても、一人の人物が繰り返しクレームを入れれば、それじゃあ中止しましょうという判断になると思うからです。
子供たちは声をあげませんし、あげられません。その親たちも、子供を人質に取られるような形になることを恐れて、声を上げないでしょう。事勿れ主義の行政は当然ながら、面倒臭いことには抗わないでしょう。大きな声でクレームを入れ続けるご老人の対応など、ご免被りたいのです。じゃあ誰がフェアな判断を下すのでしょう。長野市の市長さんでしょうか、それとも長野県知事さんでしょうか。それとももっと上の偉い方なのでしょうか。いろいろと残念な国に、なり下がったものだと感じてしまうニュースです。