Essay 15 灯り

男は疲れた体を引きずるように、暗い階段を上った。手探りで部屋の鍵を空けると、締め切った部屋からは、アルコールとすえた匂いが漂う。ブラインド越しに見える街のネオンだけが、出迎える部屋・・・・・。
もう直ぐ日付が変わる時刻。
ジャケットを放り投げ、ネクタイを緩めながら、命の次に大切なグラスに氷とバーボンを注ぐ。氷の音は、男にとって天使の囁きにも等しい。
グリーンのパイロット・ランプが灯り、流れ出す曲は、いつもの「SUMMER TIME」。いつから、そこに有ったのか覚えていないソファーに体を静めると、男はようやく自分の時間を取り戻し始める。
一筋の紫煙が揺らめく・・・灯かりは壁際の古いフロアスタンドだけの部屋。
男が「本当の自分」に戻る時間が、今 幕を開ける・・・。
などと言う生活をしている男を、私は今までに一度も、見たことも聞いたことも無い!!!
こんなふうだったら、どんなに部屋に戻ってくるのが楽しいことだろうか! まあ、たいていの場合、家に帰って点ける明かりは「蛍光灯」の白々しい灯り。しかも子供達の喧騒の中、帰ったことさえ、気がついてもらえないご主人も多いはず。
だいたい、蛍光灯の灯かりは白々しくていけない! この国は、どこに行っても明るすぎると思う。どこに行っても、影さえ出来ないほど明るい。仕事をする場所ならともかく、家の中までが、そんなに明るくなくても良いんじゃないの?そして、その灯かりのほとんどが蛍光灯の明かり。
仕事場は、それで良いと思うのだが疲れた身体を引きずって、やっと帰った家でも、目がチカチカするほど明るいのは如何なものか? そんな時こそ、少し控えめの照明のほうが落ち着くのに・・・。
 この国の多くの人は蛍光灯が大好きで、明るくしなければ犯罪のように電気を点ける。 なぜだろう?蛍光灯が電球より長持ちすると、今だに信じている人は居ないと思うし、電気代が安い!などと言う人もいないと思うのに。(そう思っている人がいたら、それは間違いですよ!)
旅行に出かけて、旅館に泊まると枕元に「行燈風」のスタンドがあったりする。 ホテルに泊まっても、ベッドサイドのスタンドや窓の側にフロアスタンドがあったりする。 そして、いつもより少し薄暗い部屋で「非日常」の落ち着きを楽しむ。 だったら、家でも同じようにすれば良いのに~~~と、思うのに「家」に電球(白熱灯)を持ち込むことはしない。実に不思議だ?スペンサー理論が、今でも浸透しているとは思えないのだが???
昔の家には、明るさにメリハリがあった。 子供時代、廊下の突き当たりにあったトイレに行くのは、暗くてとっても怖かった。だから、親に一緒に行ってもらったりしたものだ。その暗い場所から、茶の間に戻ると救われた思いがした。明るい場所と暗い場所が、きちんと分かれていた。寝る時に吊って貰った「蚊帳」は、薄暗い中で幻想的な雰囲気を持っていた。だから見ているだけで、涼しくなったものだ。
ところが、今では台所だろうがトイレだろうが、どこも蛍光ランプの白けた明るさ。 でも、本当はそんな必要はまったくないし、色温度の低い電球色の方が落ち着くと言うもの。掃除をする時は明るく、一家団欒では暗くと言うように使い分けられたら、きっと家族の会話も増えると思うんだけどなぁ~。
 一度騙されたと思って、居間の照明器具を蛍光灯から白熱灯に変えてみたら如何? 家の改築や、壁紙を変えることだけが「リフォーム」ではないと、思うのですけど・・・。
照明器具と光源を変え、気分を変えるだけで、きっと驚くほど部屋の雰囲気が変わるはずですよ~。いつものウィスキーが、驚くほど美味く感じるかもしれないし、奥さんだって美人に見えるはず・・・(失言でした!)テレビを見るより、話しがしたくなること間違い無し!
そして、それこそが「リフォーム」の本質なのではないでしょうか?
もっとも、部屋が暗いと「貧乏たらしい!」と言う方も、いらっしゃるでしょうけど・・・。