Essay 27 建築と関係無い話

今の「家」の中では体験しない、出来なくなったと言うべきかもしれない事が二つある。一つは「生まれる事、つまり出産」そして、もう一つは「死ぬ事」では無いだろうか。





私は、母子家庭で育った。母親はお決まりの水商売。だから、私の記憶にある母親の姿とは、酔っているか酔って寝ている姿だけである。「だらしなく酔う女」を見ると嫌な気分になるのは、トラウマなのかもしれないと思っている。

そんな環境だったから、何処かに連れて行ってもらった記憶など無い。食事を作ってもらった覚えさえ無い。祖母が、私の面倒をみてくれたから、生きて来られたのだと思っている。

幼稚園の頃には母親の父、つまり祖父と二人で暮らしていた。(複雑な事情があるのだが、そんな事はどっちでも良い)その祖父が死んだのは、私が6歳の時だ。

毎日、一升瓶を抱えて飲んでいた彼は、胃癌で死んだ。あばら骨が浮き出るほど痩せ、腹は背中とくっつくほど、薄くなった姿で死んでいった。

6歳の私は、その姿を見て泣いた・・・号泣した。
祖父が死んだ事に、泣いていたのでは無い。死ぬと言う「現実」を目の当たりにして、恐怖で泣いていたのだ。怖かった・・・「死ぬ」という事が・・・・・こんな姿で朽ちて行くという事実が。そして、それが日常の部屋の中の光景だった事が・・・。今思えば生きていく日常空間で、現実の「死」とイキナリ向かい合ってしまったことに、怯えたのかもしれない。

その日の事は、今でもハッキリと覚えている。紅過ぎる夕日・・・音の無い部屋・・・白い箱・・・。6歳の私には、強烈過ぎる情景だった。

だが現代の「家」の中では、それは体験できない事ではないだろうか?
生まれるのは病院で、死んでいくのも病院。どこか日常の「家」から、距離を置いた場所での出来事として、捉える事が出来る。ある意味では、救われることでもある。

その後の私は、お決まりのコースでグレて非行に走った・・・・・訳ではない。
特別に悪さをした覚えも無い。どちらかと言えば、真面目な思春期を過ごしたと思っている。

未成年者が事件を起すと、「家庭環境が・・・」とか「片親だから・・・」と判で押したように、その家庭環境を口にする、馬鹿なコメンテーターがいるが、はなはだ笑ってしまう。

環境が与える影響も、確かにあるだろう。だが、それが全てではない。
大半は、本人の「資質」以外の何物でもない。重ねて言うが、「馬力のある奴は、どんな環境に有っても自分で伸びて行く」と思っている。

それに、私には「友達」がいた。「良い男」や「良い女」にも出会った。
彼ら彼女らのおかげで、助けてもらった事も多かった。酒も飲んだし、ケンカもした。この年で、親友などと言う言葉を使うのは恥かしいが、親友だと思っている奴らとの出会いに支えられた。
祖母が亡くなった後、私が生きて来られたのも、彼らのおかげだと思っている。
それほど、大切な親友がいた。

その親友の一人が「肺がん」で逝ってしまった・・・。
もう彼が逝ってから、何度目の夏を迎えるのだろう・・・・・夏は嫌いだ・・・。

彼には、息子と娘がいる。彼らは、幼くして父親を無くし「母子家庭」になってしまった。ひょっとすると、これからいろんな事が有るかもしれない。でも、彼らにも「自分で伸びていく馬力」があると信じているし、願っている。

建築とは、人が造るものだ。造る側にもいろいろな人生があり、その想いが建物に投影される事もある。だから優しかったり、暖かかったりするのでは無いだろうか。

その多分にパーソナルな感覚が、重要な時も有る。反論も有るだろうが、この想いだけは、誰がなんと言っても譲れない。

私は家を設計する時に、5年後や10年後の家族の姿を想像する。
笑っている子供、寝ている父親、怒っている母親の姿などを。だがその姿は、いつでも元気な時の事だけを、想像しているのではない。病気で寝ている姿を思い描く事もある・・・看病する姿、肩に掴まりながら歩く姿を。

それを忘れてしまって、いつでも健康な姿だけを想像して造った家では、本当に体や心が弱ったときに「優しくない」家になってしまうと思うからだ。
本当の意味での「優しさ」とは、自分が弱った時に判ると思っている。

今日は彼の命日・・・・・ひとり、酒でも飲もう。「建築」の話しとは、少し外れてしまったかもしれない。
そんな日もある・・・・・。