現代の多くの住宅には、「L」つまりリビングルームと呼ばれる部屋が存在する。多くの場合、1階の台所や食堂の隣に有る洋間の事をこう呼ぶのだが、この部屋は実に不思議な部屋なのである。
このリビングルームの広さは8畳から14畳ぐらいで、台所や食堂、あるいは和室との続き間になっていることが多い。家の中では、中心的な広さと快適さを持っている場所である。この部屋に置かれている家具と言えば、まずテレビが上げられる。実はこれがこの部屋の主で、居間と呼ばれる部屋の中心人物なのである。
多くの人は、居間の中心人物は『家族』あるいは、父親だと思っている方もいるでしょうが、実はこのテレビこそが居間の中心人物・・・いや!中心物なのである。テレビの他にはソファーやテーブルも有ろうが、なんと言っても一番威張っているのは、やっぱりテレビである。
だから、この部屋で何をするのかと言えば……当然テレビを見るのだ。家族全員が、お互いの顔など見ずにテレビの画面を見つめ続ける。 お互いの顔を見ながら、一日の出来事を話すことは……残念ながらしない。 全員がテレビに顔を向けたまま、今見ているテレビの話題をするのである。
「それでも良いじゃないか、家族の団欒は食事中にするのだから」と、反論する方が要るかもしれないが、本当に団欒しながら食事している家族は稀でしかない。夕食は、だいたい子供が見たがるテレビ番組の放送時間帯なのだ。
教育テレビで5時頃から幼児向けのテレビを放映しているのは、子供が番組に夢中になっている隙に主婦が夕食の支度を済ますことが出来るように、あの時間帯になっているのです。ところが、夕食の支度に必要な平均時間よりテレビ番組のほうが長い。従って、夕食を食べる時間になってもテレビが付いている事になる。当然、子供はテレビに夢中になる。
適当に食事を済ませ、ゆっくりテレビの前に座っていたいのである。それを叱るお母さんのほうが酷というもの。何故って、ナイターで松井のホームランを見ながらビールを飲むお父さんと、おじゃ魔女ドレミを見ながらご飯を食べる娘と、何か違いますか?同じでしょ?大人は良いけど子供はダメなんて説得力の無い論理では今日日の子供に勝てないですよ?
なかには「我が家では絶対に食事時にはテレビを見せない!」と言う躾に厳しい家庭もあるでしょう。それでは、お尋ねしますがその躾に厳しいご家庭は、夕食にお父さんも必ず仕事から戻って来ていますか?本当に家族全員で夕食を毎日囲んでいますか?
現代の社会事情では、自営業の方ならともかく通勤に1時間もかかるような会社に勤めている父親にとっては、平日の夕食を家族とすることなどまず不可能な筈です。昭和30年代頃までは「父親が箸をつけなければ家族は食事が出来ない」時代がありました。父親も家の近所で仕事をし、歩いて通える場所で働いていたから出来たことですけど。
今、そんな時代ですか?ひょっとすると「父親が箸をつけなければ食事が出来ない」と言うスタイルを全うしていたら、毎日子供は夕飯抜きで寝なければならないでしょう。だから現在では、父親不在の穴を埋めるためにもテレビを見ながら食事をすることになるのです。そして、夕食後の団欒も部屋を移動してまた皆でテレビを見る。(ホントにテレビが好きですよね…)
ところが、笑っちゃうのは好んでみる番組は「ホームドラマ」だったりするんですよね~。 なぜ「ホームドラマ」が好きなのかと言えば、ドラマの中の家族は誰も食事の時にテレビなど見たりしないからです。今日一日の話をしたり、悩み事を打ち明けたり、 ケンカしたり笑ったり泣いたりと本当に生き生きとしているからなのですよ。 あくまでも「偽者の作り物の家庭」を、テレビのこっち側で「本物の家族」が黙って眺めている。そんな、薄気味悪い部屋を人は居間と呼ぶのですよ。 それぞれが座る場所さえテレビの位置に影響される。上座も下座も関係無い。強いて 言えば、上座とはテレビが一番見やすい場所が居間の上座と呼べるでしょう。心当たりがあるでしょう?
設計の打ち合わせをしている時でも、居間という部屋の中の要素を決めていくのにテレビの影響は非常に大きいのです。窓から差し込む太陽でテレビが反射しないような場所に置くことは基本ですが、その位置を中心に家具の配置が決まってくる。それがどんなに非合理的であっても、使いにくい家具の位置関係で有っても。(変だと思っても、それがこの家族の生活スタイルだと思えば諦めざるを得ない)
一度、テレビの無い生活を送ってみたらどうでしょう?
皆でお菓子でも摘みながら、喋ったりトランプやUNOなどで楽しんで夕食後を過ごしてみることは出来ないですか?
本を読むのも良いですね。童心に戻ってプラモデルを造っているお父さんがいても良いんじゃないかと思いますよ。ひょっとすると子供は、父の巧みな技に尊敬の眼差しを送るかもしれないですよ。
家族って何だろう?
一日中テレビを中心に生活して、皆のことを全部知っているような気がしているが、実は何も知らない人間が同居しているだけの場所なのだろうか? 気が付くと、子供はグレて父親は愛人作って、母親はキッチンドリンカーだったりする。家族って何だろう?
家が全てを解決出来るなどと、自惚れてはいません。だけど子供が親の顔を見ずに、自分の部屋に出入り出来たり、居る事さえ気がつかないような不感症の家に住まないようにすることは、出来ると思います。
居間を考える時に、テレビと言う『物』を中心に考えるから間違った方向に出来あがってしまう。まるでテレビと言う教祖を拝む信者達になってしまう。 もっと人間を中心に考えるべきではないでしょうか?そうすれば、きっとそこから健全な家族の形が生まれるはずだ。
『リビングルーム』を日本語に訳すと、本当は居間とは呼ばないのをご存知ですか?『リビング・ルーム』とは『生活の部屋』と言う意味なのですよ。決して「テレビ閲覧室」では無いのです。
家族と言う「絆」を育む生活の場が、『リビングルーム』で有って欲しいと願うのは、私だけですか?それとも、あなた方ご家族もですか?